母の偉大さを描いている芸術作品は多くあり、実際に母は偉大な存在だと思いますが、この見方は母にとっては幸福なのかどうかと疑問に思うことがあります。母になってみないとわかりませんが、「母は偉大でなければいけない」というプレッシャーになることもあるのではないかと…。母親はこうあるべきだという一種の型が世の中にはあるようですが、本当にそうあるべきなのか、今回は母と子の作品を例に考えてみました。
ツイートあやしい彼女
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<子どものためにだけ捧げた人生> |
瀬山カツは、若くして夫を亡くしたことで、すごく苦労して娘を育ててきました。自分がやりたいことは全てガマンして娘のことだけを考えて生きてきたカツにとっては、娘が有名なファッション誌の編集長をしているのはすごく自慢で、いつも話すのは娘のことや、孫の自慢ばかり。でも、娘はそんな母に感謝しながらも、何かにつけて「あんたのためにガマンしてきた」と言われることにうんざり。そして、娘は「今からでもお母さんが好きなように生きればいい!」とぶつけますが、急にそう言われたところで、カツは「自分のために、好きなことをやる」という感覚がすぐにはわかりません。そんなとき、通りで目に入った写真館で、オードリー・ヘップバーンの写真を見つけ、久々に口紅を塗って写真を撮ってもらうのですが、これを機にカツは20歳の姿に戻ります。若返った彼女は、当時やりたかった歌をやることになるのですが、結末がどうなるかは、ぜひ映画を観て頂くとして、「お母さんの人生は全部あなたに捧げてきた」と言われて、子どもとしてどう感じるか、映画を観ながら考えました。すごく有り難い言葉だけれど、やっぱり子どもだって、お母さんには幸せになって欲しいし、自分のために犠牲になったと思うといたたまれません。お互いがお互いの幸せを願っているんだから、たまにはお母さんも"自分のためにいる自分"に戻っても良いのではないかと思います。 |
幸せをつかむ歌
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<子どもから離れ自分の道をいく人生> |
ミュージシャンになる夢を諦められず、離婚し子どもを残して、自分の道を選んだリッキー。20年経ち、28歳になった娘ジュリーは、離婚して自暴自棄になっていますが、20年も離れて暮らしている母親が現れたところで、すぐに心を開くわけでもなく、むしろ嫌悪感いっぱいの様子。でも、リッキーは子ども達から離れても母親であることをやめたわけではありません。とはいえ、リッキーは母親としてどうすれば良いかすぐにはわからず、それでも自分らしいやり方で、娘や息子たちに愛を伝えようともがきます。前述の『あやしい彼女』では、子どもだって母親に幸せになって欲しいと思っていると書きましたが、子どもの頃は特に母親にそばにいて欲しいのも事実。完全に自分のもとから離れてしまうとしたら、「母に自分らしく生きて欲しい」という意味も少し変わってきます。かと言って、どんな母親になるべきかなんて、決められたことではありません。本作のリッキーは褒められたタイプの母親ではないかも知れませんが、彼女なりの方法で母親になろうとしています。どんな母親になるかこそ、人それぞれ、どんなお母さんが子どもにとって良いかも人それぞれ。世の中のものさしではなく、お互いを思い合う親子でいられるなら、それが一番だと思います。 |
母という存在は、映画として描かれることの多い題材ですが、こういう映画を観れば観るほど、女性の生き方って難しいなあと思います。でもその半面、やっぱりお母さんになるって素晴らしいことなんだろうなと、好奇心も膨らみます。母親としての苦労はまだ知りませんが、とにかくまずは娘として、母親に感謝しようと改めて思いました。
2016.3.14 TEXT by Myson