以前から一度はインタビューをしてみたいと思っていたキム・ギドク監督。今作では来日は叶いませんでしたが、スカイプにてインタビューをさせて頂きました!「こんなことを聞いても良いのかしら」と思いながら貴重な機会なので質問をぶつけてみましたが、どんな内容でも快く答えてくださり感激でした。かなりネタバレが含まれますので、本編をご覧になってからお読み頂ければと思います。
<PROFILE>
キム・ギドク:監督、脚本
1960年韓国生まれ。パリでアートを勉強し、韓国に帰国後、脚本家としてのキャリアをスタート。1996年に低予算映画『鰐~ワニ~』で監督デビューし、2000年『魚と寝る女』がヴェネチア国際映画祭をはじめ数々の国際映画祭で絶賛され、世界的に注目を浴びる。だが2008年の『悲夢』以降、映画界から姿を消し、3年後に、自身の隠遁生活を撮ったセルフ・ドキュメンタリー『アリラン』を発表。同作は2011年カンヌ国際映画祭ある視点部門最優秀作品賞を受賞した。さらに『サマリア』で2004年ベルリン国際映画祭監督賞を受賞、『うつせみ』で2004年ヴェネチア国際映画祭監督賞を受賞し、世界三大映画祭で受賞という快挙を成し遂げた。続く実験作『アーメン』の後、久々に本格的劇場映画『嘆きのピエタ』(2012)を製作し、ヴェネチア国際映画祭で、韓国映画初となる最高賞金獅子賞に輝いた。その後も、韓国で上映制限された問題作『メビウス』(2013)、異色サスペンス『殺されたミンジュ』(2014)や、近年では『STOP』(2015)、『The NET 網に囚われた男』(2016)といった政治的メッセージが際立つ作品も制作し、その衝撃的な内容や描写から常に話題となっている。
キム・ギドク監督が、物議を醸すシーンを入れる真意とは
※ネタバレ注意!
マイソン:
まず、公式資料にある監督のメッセージで、「私は人間を憎むのをやめるためにこの映画を作った」とあったのですが、どんな気持ちで作られたのでしょうか?またこの映画は、希望と絶望どちらに比重を置いて作られたんでしょうか。
キム・ギドク監督:
私は、人間への憎悪をやめるために映画を撮るっていう風に言ったのですが、それには人間を理解する努力をしたいという意味が込められていたんです。私も人間ですので、さまざまな気持ちを持っていますが、やはりこれから残りの人生も人間を理解することが大事だと思い、そうやって生きていきたいと思っています。この『人間の時間』という映画は、単に希望があるだけの映画でもなく、かといって不幸だけが描かれている映画でもないと思っています。この映画は、巨大な自然のエネルギーを理解するために努力する映画だと思っています。
マイソン:
監督の今までの作品でもこの作品でも、物議を醸すようなシーンがありますが、これにはどういう意図があるのでしょうか?
キム・ギドク監督:
私はこの映画を正直に撮りたいと思ったんです。この映画は、いくつかのチャプターに分かれているのですが、最初は“人間”というチャプターで、そこでは人間のありとあらゆる欲望や罪深い面がすべて描かれていて、2つ目の“空間”というチャプターでは、人間が生き残るために争う姿が描かれています。そして、“時間”というチャプターでは、まさに文字通り時間が過ぎていって、人が死んでいき、死んだ人間が堆肥になるというくだりが描かれています。昨今アメリカでも、実は1番綺麗な堆肥は人間だと言われているそうです。そんな風に人間は自然の一部であり、無機物でもあり有機物でもあるわけです。そんな人間のさまざまな姿を、観ている人がちょっと目を背けたいなと思ったとしても、やっぱりありのままに見せることが大事だと思いました。だから黒い色を見せることによって白い色が認識できるのと同じように、正直にありのままの姿を見せるべきだと思って描いています。
マイソン:
暴力描写、性描写がかなり衝撃的に描かれている点で、そういう描写が映画で果たす役割について、今回に限らずいつもどういう定義を持っていらっしゃるのでしょうか?
キム・ギドク監督:
今回の映画だけでなく、私の過去の映画にもそういう描写はふんだんに使われてきましたよね。それは、実際に私達の人生の中に存在しているものだと思うので、それをありのままに見せることが必要だと思っています。さっき言ったように、黒い色を見せることによって白い色を認識できるのと同じように、そういう描写も映画の中に入れることで対比になりますよね。だから入れるべきシーンであり、メッセージを伝えるためには必要だと思っています。どうしてもそういう場面から目を背けたいと思ってしまう方は、エンタテインメント性の強い映画や感動的なヒューマニズムの映画のほうにいくのではないかと思います。でも私としては、映画を作る時に正直でありたい、正直に撮りたいと思っているので、それらの描写を入れることによって、さらに大きなメッセージを伝えたいと思います。
(ここで、監督が家にあるエゴン・シーレの絵を飾って、「お母さんとベビーの絵です」と見せてくださいました。)
マイソン:
今もお母さんと子どもの絵を見せて頂いて、監督の今までの作品でも母性がすごく印象的に描かれている作品がありますが、監督にとって母性は探求したいテーマの1つなのでしょうか?
キム・ギドク監督:
この作品に登場する藤井美菜さんが演じるイヴが、まさに偉大な母性のキャラクターだと言えますよね。この映画の中では、イヴは誰の子かわからない子どもを産もうとします。最初は彼氏の子どもではないかも知れないと、ちょっとためらうんですが、結局は「誰の子どもでも良い、もうこれは命なんだ」という考えで命を誕生させようと一生懸命頑張って生き残るわけです。これぞまさに偉大な母性だと思うので、この映画の中ではその点をぜひ見せたいと思いました。
マイソン:
今回日本人と韓国人が出てきてもそれぞれ日本語と韓国語をそのまま使って通じているっていう設定で、何かしら意図があるんだろうなと思ったんですが、敢えて説明していない理由はありますか?
キム・ギドク監督:
私は以前『悲夢(ヒム)』(2008)という映画で、オダギリジョーさんは日本語、相手役の女優さんは韓国語で話すという映画を撮ったことがあるんです。この時も全く何の問題もなかったので、これからもそんな風にしていきたいと思うんです。これからロシアでも映画を撮ると思うんですけど、ロシアの人が話していてもどこの国の人が話していても通じるっていう設定になると思います。それはなぜかというと、既に「キム・ギドクの映画だから」っていうことで皆さん納得してくれると思うからなんです。私の映画は、大体今までの形式、やり方を越えて作ってきたので、そういう表向きの見た目にこだわらずにしっかりと内容を伝えていきたいと思っています。
マイソン:
こういう解釈が合っているのかわからないのですが、監督の作品には怖いと思うシーンもある一方で、怖いを通り越して滑稽に思えるシーンもあります。だから普段からすごく人間観察をされているのかなと思ったんですが、普段人のどんなところに目が行きますか?
キム・ギドク監督:
私は人に会った時にその人の本質は何かということを考えるようにするんです。人というのは、どうしても自分のことを飾って見せるところがあると思うんですけど、それを取っ払ったところで、その裏にはどういう本質があるのかということを見るようにしています。この映画を観ると、観ている人達はたぶん自分の意識と戦うことになると思います。観れば観るほど思ってもいなかったようなシーンが次々と出てきますよね。例えばイヴがレイプされて子どもを身籠もるんですけど、私達の認識だとどうしても恋人の子どもなら良いのにと、それ以外の人の子どもだと認めようとしないわけです。でもこの映画ではそれを最終的に認めることになりますし、他にも人が死んだ後にそれを堆肥として使うことも認めているわけで、そういう考えもしなかったことを見せつけられるので、恐らく自分の意識と戦いながら観ることになると思います。そういう自分の意識と戦った後に、じゃあ自分はどんな考えで今生きているんだろう、そして自分とは何なのかと考えてくれたら嬉しいです。
マイソン:
わかりました。あと、監督の作品には、すごく役者魂が試されるようなキャラクターが出てきますが、俳優さんに1番求めるものは何でしょうか?
キム・ギドク監督:
私はこれまでのキャスティングについて全く後悔したことがないんです。私が俳優さんを使いたいかどうか決める基準となるのが、シナリオを十分に理解しているかどうかなんですね。だからその時点で演技が上手いか下手かというのは度外視して、ちゃんとシナリオを自分で理解して伝えようとしているのか、伝えられるのか、それを第一に考えて見るようにしています。
マイソン:
監督がイメージしていた表現と役者さんの表現が違った場合はどうされているんでしょうか?
キム・ギドク監督:
違ったとしてもそれがちゃんとシナリオの意味を伝えてくれているのであれば良いと思っています。私は必ずしも演技が上手いということを求めているわけではありません。逆に言うと、あまりにも演技が上手過ぎると、作品の中で俳優さんにしか目が行かなくなってしまうと思うからなんです。もちろんリアルな演技を求められることもあると思うんですけど、あまりにもリアル過ぎる演技は、リアリティに重点を置いた作品だったり、ドキュメンタリーのほうで観ることができると思うので、私の作品の場合にはどちらかというと、演劇的な要素を求めることが結構多いんです。そういう部分も踏まえてしっかりと作品を伝えられる演技、役を演じられる俳優さんが良いなと思っています。
マイソン:
ちょっと質問が変わるのですが、監督の作品はシリアスなものが多いですが、監督が普段ウキウキすることは何でしょうか(笑)?
キム・ギドク監督:
私はとにかく自ら手を使って何かを作るのが好きなんです。特に家具を作るのが好きで、香港に行った時にも木を拾ってきて、ハンドメイドで家具を作ったり、『アリラン』(2011)を撮った時には、自らコーヒーマシンを作ったり、拳銃(小道具)を作ったりしたんです。今も木でテーブルを作ったりしてますが、何かを作っている時はすごく幸せで、あともう1つ、シナリオを書いている時も幸せです。
マイソン:
そうなんですね!監督は普段どんなことから映画を作るインスピレーションを受けているのでしょうか?
キム・ギドク監督:
私はよく歩き回るんです。そして、たくさん歩いているなかで人を観察するようにしています。いろいろな人がいるんですけど、ちょっと辛そうにしている人を特に観察します。そういうところからもインスピレーションを得ますし、今世の中で起きていることを報道するニュースを通してもたくさんのインスピレーションを得ています。
マイソン:
では最後の質問で、映画は映画館だけでなく、スマホやタブレットなどいろいろなもので観られるようになりました。監督の思いとしては映画をどう観て欲しいですか?
キム・ギドク監督:
映画は今アナログからデジタル化されていますし、映画館のシステムも変わっています。以前はフィルムだったのが今はもうデジタルで観られるようになって、そんな風に世の中では技術がどんどん発達していて、より良い方向に向かっていると思います。なので、これから映画を観る時の方法としてはすべての方法を私は受け入れたいと思います。とにかく映画というのは、見せるものだと思っているので、極端な話、たとえ収入がそれによって伴わなかったとしても、映画を見せたい。知ってもらうきっかけはいろいろあって、例えばいろいろな映画祭などをはじめとして、才能のある人達の映画がたくさん紹介されて、良い映画はどんどん知られていって欲しいと思っています。なので、観方としてはどんな方法でも私は構わないと思っています。
マイソン:
ありがとうございました!
2020年2月19日取材 PHOTO & TEXT by Myson
『人間の時間』
2020年3月20日よりシネマート新宿ほか全国順次公開
R-18+
監督・脚本:キム・ギドク
出演:藤井美菜/チャン・グンソク/アン・ソンギ/イ・ソンジェ/リュ・スンボム/ソン・ギユン/オダギリジョー
配給: 太秦
退役した軍艦が、年齢も職業も国も違う旅行客を乗せて出航した。始めは皆旅行を楽しもうとしていたが、一部の乗客が特別な船室や食事を提供されていることをきっかけに不和が生じ始める。そんな中、船は霧に包まれ、未知の空間へと進んでいき…。
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