都会からブータンの秘境ルナナにやって来た若き教師と村の人々の心の交流を描いた映画『ブータン 山の教室』。今回は、実際にルナナに行き撮影をしたパオ・チョニン・ドルジ監督にリモートインタビューをさせていただきました。 “幸福度No.1の国“としても有名なブータンの幸福観についてや、本作の撮影秘話を聞いてみました。
<PROFILE>
パオ・チョニン・ドルジ:監督、脚本
1983年6月23日生まれ。作家、写真家、映画監督。映画『ザ・カップ~夢のアンテナ~』(99)で知られる、ケンツェ・ノルブ監督作“Vara:A Blessing(原題/13)”で監督助手として映画の世界でのキャリアをスタート。その後、同監督による『ヘマへマ:待っているときに歌を』(第12回大阪アジアン映画祭上映時タイトル/17)をプロデュース。同作品はロカルノ映画祭でワールドプレミアされ、国際的にも高く評価された。2021年日本公開の映画『ブータン 山の教室』で長編映画デビューを飾る。
幸せとは、その道のりや過程であってゴールではない
シャミ:
美しい大自然と子ども達の笑顔がとても印象的な作品でした。本作は実際にルナナにある学校で撮影されたということですが、この地を舞台に選んだ最大の理由は何だったのでしょうか?
パオ・チョニン・ドルジ監督:
ブータン人だけでなく、いろいろな国の人が、「人生の答えが欲しい」とか、「幸せとは何か?」を求めていると思うのですが、例えば「人生で何を求めていますか?」と尋ねると、「銀行口座にたくさんお金があること」「良い家が欲しい」「良い車を運転したい」と答え、その居場所を都会などモダンなところに求める人が多いと思います。なので、私は人が何かを求めている時に、そういった都会とは反対の土地だったらどうだろうと思い、ルナナを選びました。ブータンの人達がルナナと聞くと、「ものすごく僻地だよね」「すごく(文明的に)遅れている場所だよね」という反応を示す場所なんです。ルナナという言葉はブータンの言葉で“暗い谷”という意味があって、本当に遠く遅れている僻地のことなんです。日本のようにすごくテクノロジーが進んでいる国の人にそういう場所が想像できるでしょうか?電気もインターネットもテレビもない、シャワーを浴びることもできないんです。撮影中、私は2ヶ月間シャワーなしで生活しました。ですので、キャラクターとか、観客のためだけでなく、自分自身に対してもこの映画を通して探ってみたいと思いました。ルナナには、本当に基本的なものしかなく、1番大切なのがヤク(ウシ科の動物)の糞なんです(笑)。ヤクの糞で暖を取り、ヤクの糞がないと料理もできない、そういう場所で果たして自分の答えが見つかるのだろうかと、自分自身にも問いかけて探してみたいと思いました。
シャミ:
ルナナは、ヒマラヤ山脈の氷河沿いにある集落で、1週間以上かけてトレッキングしなければたどり着けない場所にあるということですが、初めて監督がこの場所に行った時はどんな印象でしたか?
パオ・チョニン・ドルジ監督:
ルナナはすごく遠い場所なので、実は脚本段階ではルナナに行っていませんでした。脚本を書いてから初めて行ったのですが、その時の印象は、本当にマジカルというか、脚本に書いた通りだなと思いました。例えば、山の上に歌っている女の子がいて、ウゲンが谷のほうから上がって来てヤクの糞を集めていて彼女を見かけるというシーンを先に脚本に書いていて、実際に行ってみたら、学校、山、谷とあって、あのシーンはまるでここじゃないかと感じました。ルナナのことをあまりに夢見すぎていて、実際に行った時に本当にそれがあったという驚きがありました。まるで自分がその土地のことをわかっていて脚本を書いたみたいでした。
シャミ:
本作には、実際にルナナに住んでいる子ども達も出演していますが、映画やカメラを知らない子ども達にどうやって映画撮影について説明したのでしょうか?
パオ・チョニン・ドルジ監督:
すごくシンプルなことでした。「授業があるので、授業を受けてください。ここにカメラを置きますが、1つだけやってはいけないのは、このカメラを見ることです」と言ったんです。
シャミ:
初めてのカメラだと、見ないようにするのも難しそうな気もしますが、難しいことはありませんでしたか?
パオ・チョニン・ドルジ監督:
私達にとっては、カメラがある、映画を撮るというコンセプトがあるので、例えばシャミさんに「これから撮影しますね」と言ったら、緊張したり居心地が悪くなったりしますよね。でも、ルナナの子ども達は映画を知らないですし、カメラのこともよくわかっていないんです。だからこそ普通に撮れたんです。「いつものように授業をして、ただカメラは見ないでね」と言うと、普通に撮れるんです。だから意図していなかったおもしろいものがたくさん撮れました。例えば、授業中に隣りを見ながら字を書いている子とか、あとは鼻をほじる子とか(笑)、そういう生のものが勝手に撮れてしまったんです。だからこそ観ている人がとても親しみを覚えたり、惹きつけられ、共感できるものになったんだと思います。それから歯を磨くシーンがありますが、あのシーンは子ども達が本当に生まれて初めて歯磨きをして、歯磨き粉を味わっているんです。リハーサルなしで撮影をして、本当に人生初の歯磨きの瞬間のリアクションを撮りたかったんです。
シャミ:
子ども達の演技は本当に自然で半分ドキュメンタリーを観ているような感覚にもなりました。ルナナの方達は完成した本作をご覧になったのでしょうか?
パオ・チョニン・ドルジ監督:
何人かの村の人は街に来て観ていますが、ほとんどの人は観ていません。だから撮影が終わった時に、「映画ができたら映写機とスクリーンを持ってまた村に戻ってくるから、谷でアウトドアスクリーニングをしよう」と約束したんです。そうすることによって、映画を作って見せるという1つのサイクルが完結すると思ったのですが、コロナの影響でそれはまだできていません。ブータンでもコロナの感染者が出て、国内の移動もかなり制限されているんです。コロナウイルスの威力というのは本当にすごいもので、ルナナの村人の中にも陽性になった人がいたんです。世界で1番辺境にある村だというのにウイルスが届いてしまうとは、本当に恐ろしいウイルスだと思います。
シャミ:
ブータンは幸福度No.1の国として有名ですが、資料の中の監督のお言葉で「多くのブータン人がそれぞれの幸せを求め、華やかで近代的な都市に移住するようになっています」とあり、驚きました。本作の主人公ウゲンも海外へ行くことを考えていましたが、監督が主人公の旅を通して1番伝えたかったことはどんなことでしょうか?
パオ・チョニン・ドルジ監督:
これはブータンの伝統的な考え方でもあるんですけど、あらゆる存在というものはいつも動いている、それは幸せのために動いている。例えば、私達は今朝起きてからここに至るまでに、朝ご飯を食べたり、仕事をしたりしていますが、それは幸せになりたいからですよね。たしかにブータンは、国王が国民の富よりも幸せに重きをおいている国です。それは本当のことですが、そういうイメージが非常に強いので、私が他の国に行って、「私の名前はパオです。ブータン出身です」と言うと、「すごく幸せなんですね!」って言われます。だけど、その幸せは曲者なんです。幸せになる理由はすごくシンプルなのですが、いつも変化しているんです。例えば、私が今「一蘭のラーメンが食べたい」と言って、1年間毎日食べようとしても、たぶん2週間くらいでうんざりすると思います。つまり、幸せの条件というのは、常に変わっているということなんです。ブータンの伝統では、幸せは2つのものからできていると言われています。1つは、満足するということ、もう1つは受け入れるということ。満足することは、自分の持っているものに満足すること。受け入れるというのは、物事が常に変化しているということを受け入れること。幸せとはその道のりや過程であって、ゴールではないと、伝統的に考えられています。ですが、ブータンにYouTubeとかHBO、Googleなどが入って現代化してから、ブータン人の幸福度が低くなってしまったと思います。そういうものが入ってくる前は、ペム・ザムのような子ども達は満足に生活していたわけですが、一度知ってしまって「自分は持っていない」「それが欲しい」と思うことで、満足というものを失ってしまうんです。だからこそ「幸せとは、もっとベーシックなものに戻ることではないですか?」ということをこの映画を通じて言いたいと思いました。
シャミ:
今幸せについてのお話を伺いましたが、監督が日常で幸せだと思う瞬間はどんな時でしょうか?
パオ・チョニン・ドルジ監督:
私はたくさん旅をする人間で、今はコロナの影響で旅をしていませんが、これまでにブータンの国内外で旅をしてきました。数年前にアフガニスタンとかパキスタンに行ったのですが、そういう国にはあまり旅行者がいないですよね。ですが、そういうところに行って、非常にベーシックな人間のストーリーを聞けることが私にとっての幸せなんです。例えば、アフガニスタンと聞くと、皆さんタリバンや戦争というイメージがあると思います。でも、実際に現地に行って地元の人とから話を聞くと、本当の人間の話が聞け、人間って本当に美しいものだなって思えるんです。少し話がズレてしまうのですが、アフガニスタンに行った時に運転手さんとお茶をしたんです。この人はハザーラという民族の方なのですが、タリバンはその人達をずっと押さえつけていたんです。その運転手さんが、「タリバンが権力を握っていた時は、非常に苦しめられました。今はいませんが、いつか戻ってくる」と、“もしも”ではなく“いつか”だと言うんです。「戻ってきたら、彼らは私達の家を壊し、私を殴り、娘達はレイプされる」と言うんです。私は2人の子どもの父親で、夜に子どもを寝かしつけて、次の朝がまた同じように来ると思っていたけど、そうではない人達がいることに気づきました。この話を聞いてすごく悲しかったのですが、それと同時に自分がより良い人間や父親になりたいと思う影響を与えてくれたという意味では、幸せなことなんです。
シャミ:
では、最後の質問で、これまでに影響を受けた映画もしくは俳優・監督などがいたら教えてください。
パオ・チョニン・ドルジ監督:
私は日本の映画を観て育ってきました。だから、この作品が日本で公開されることは非常に大きな喜びです。小津安二郎監督の『東京物語』とか黒澤明監督の『七人の侍』を観て育ってきたし、是枝裕和監督の『そして父になる』は本当に大好きな映画で、いつか彼のようなストーリーを語れると良いなと思っています。あと中国映画も好きで、チャン・イーモウの『あの子を探して』や『初恋のきた道』、それからホウ・シャオシェンの映画も好きです。あと、仏教のラマでありフィルムメーカーでもあるケンツェ・ノルブという方は、私に映画作りを教えてくれたので、彼からも非常に大きな影響を受けています。
シャミ:
本日はありがとうございました!
2021年2月18日取材 TEXT by Shamy
『ブータン 山の教室』
2021年4月3日より全国順次公開
監督・脚本:パオ・チョニン・ドルジ
出演:シェラップ・ドルジ/ウゲン・ノルブ・へンドゥップ/ケルドン・ハモ・グルン/ペム・ザム
配給:ドマ
ブータンの都会で暮らす教師のウゲンは、歌手になり海外に行くことを夢見ている。だがある日、上司から呼び出され、標高4,800メートルの地に位置するルナナの学校に赴任するよう告げられる。1週間以上かけ、ルナナに到着したウゲンは、電気も通っていない村で、現代的な暮らしから完全に切り離されたことを痛感する。村での暮らしに戸惑うウゲンだったが、キラキラと輝く子ども達の瞳や荘厳な自然と共にたくましく生きる人々の姿を見て、次第に自分の中に変化を感じ始める…。
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