伊藤万理華が主演し、男の子役を演じた短編映画『息をするように』。今回は本作の監督と脚本を務めた枝優花監督にリモートでお話を伺いました。本作のキャスティングについてや、物語のテーマの1つでもある“孤独”について監督に直撃してみました。
<PROFILE>
枝優花(えだ ゆうか):監督、脚本
1994年生まれ。映画監督、脚本家、写真家。2017年に初の長編映画『少女邂逅』が新宿武蔵野館をはじめ全国公開し2ヶ月のロングランヒットを記録。香港国際映画祭や上海国際映画祭に招待され、バルセロナ・アジア映画祭では最優秀監督賞を受賞した。2019年には日本映画批評家大賞新人監督賞を受賞。テレビドラマや映画などを多数手掛ける一方で、STU48やindigolaEnd、KIRINJIなど、多くのアーティストのショートムービーやミュージックビデオも手掛けている。
他人のことが見えないからこそ自分を見つめる時間に孤独を感じて、自分のことを大事にして欲しい
シャミ:
本作はシンガーソングライターのKarin.さんの楽曲にインスパイアされて製作されたということですが、具体的にどんな点に惹かれましたか?脚本を作るにあたって、意識された点もあれば教えてください。
枝優花監督:
最初はKarin.さん側から短編映画とミュージックビデオの両方を作って欲しいといった話から始まり、そういう構成で何かを作ったことがなかったので、折り合いを付けてどちらも良い形でというのを模索して作りました。それを1つにまとめたものが今回の作品になっています。なので、Karin.さんの持っているアーティストとしての特徴や楽曲をねじ曲げないようにしたいなというのを念頭に置いて作りました。Karin.さんサイドがこちらを信頼して、「この曲を使って好きに作ってください」というお願いを受けました。もちろんKarin.さんの曲も聴いて、その時に自分が関心のあったことに寄せながら作り上げました。
シャミ:
監督の中で本作を作る上でどんなアイデアがあったのでしょうか?
枝優花監督:
Karin.さんの曲は高校生の時に作られたそうで、その当時悩んでいたことや人と自分が上手く交われないといったことを今回の楽曲に限らず、他の楽曲からも感じたので、それをどう物語にしようかと考えました。また、今回の主演は伊藤万理華さんで元々決まっていたのですが、そのお話をいただく前から伊藤さんのことは気になっていたので、伊藤さんが持っている魅力と、Karin.さんの楽曲の持っている“人と上手く交われない”という部分を合わせたという感じです。
シャミ:
キャスティングについても伺いたいのですが、今回伊藤万理華さんに男の子役をやってもらおうと思った理由を聞かせてください。
枝優花監督:
結果的に伊藤さんだったからということなのですが、以前同じ業界の男友達と飲んだ時に聞いた話もきっかけになっています。私と同世代の友達で仲良くしている人は、一緒にいて女だとか男だとかを意識しないで済む人達ばかりで、お互いに結構突っ込んだ話もするんです。その男友達はマインドがすごく中立で、その友達が「自分は異性愛者だし、男性に恋愛的な感情を抱いたことはないけど、女性を見ている時にたまに男として女性を見ているのではなくて、自分の中にいる女性のような感覚でその女性を見ている」と言っていたんです。それは女友達として女の子を見ているみたいな感覚で、よく男女の友情は成立するのかとか言われますが、そういうことではなく自分の中に女性性もあって女の子を見るという絶妙な感覚なんです。男性が女性を見る時にいつでも性的な視点とは限りませんし、その感覚は私もすごくわかるなと思いました。私も男友達といた時に女として男友達を見るのではなく、自分の中にある男性性というかその人をただ1人の人間として見るみたいな感覚があって、それをどうやったら映像化できるんだろうと思いました。今回はそこだけがテーマではありませんし、トランスジェンダーとかそういうことではなくて、敢えて女性が男の子を演じた時に、そこから通して見た男の子をどう映せるんだろうということに興味がありました。
シャミ:
主人公のアキは、アイデンティティも性自認も定かでない思春期の少年で、孤独を感じていましたが、同じように孤独を感じている人は世の中にも多いと思います。監督自身は何か孤独を感じた経験などありますか?
枝優花監督:
それはずっと感じている気がします。小さい頃は近所の皆と同じ保育園に行っていなかったので、近所に友達がいなくて、わかりやすく孤独を感じていました。中学生の時は部活動で頑張り過ぎて、それが空回りして皆と打ち解けられなくて孤立したこともあります。「こうやったけど上手く溶け込めなかった」とか「距離感が難しいな」と思って、「じゃあどうしたらコミュニティの中で浮かずに普通の人として見てもらえるのか」と、いつも試行錯誤していました。なるべく目立たずに注目されずに、どうしたら皆と同じでいられるのかということをずっとやってきたので、誰かに注目されることや皆に必要とされる存在は疲れるなと思っていました。
だけど、いろいろなことがあって結局この仕事に就いた時に、皆がよく「監督は孤独だ」と言っていて、自分がスタッフをやっている時はにわからなかったのですが、いざ監督になった時に「なるほど、こういうのが孤独か」と思うようになりました。皆同じ船に乗って同じところを目指していて、スタッフの皆は私の背中を見て付いてきてくれるのですが、私の前には誰もいなくて、自分で実態のない何かをひたすら目指し続けないといけません。例えば、目の前にわかりやすいゴールがあって「ここを走れば良いんだ」とわかっていたら、同じように皆で手を繋いで走っていけば良いのですが、ゴールがわからないから皆と手を繋げず、とにかく何かに向かって後ろにいる皆を不安にさせないようにしながら走り続けないといけないんです。でも、私もゴールがわからないんですよ(笑)。なので、スタッフと会話をした時に自分だけ何か少し違う感じがして孤独を感じるのですが、それを孤独だと言うのも何か贅沢な気もします。
シャミ:
後ろにたくさんのスタッフの方がいることにプレッシャーを感じる時もありますか?
枝優花監督:
そうですね。この感覚をなかなか共有できないのは、どの監督も皆そうだと思います。最初の頃はそれがしんどいなと思っていましたけど、今は贅沢な悩みだなと思います(笑)。
シャミ:
ありがとうございます。経験や見方が変わることで孤独から抜け出すこともあれば、ずっと孤独を感じてしまう人もいると思うのですが、そういう人に向けて監督から何かアドバイスはありますか?
枝優花監督:
SNSでいろいろな方からメッセージや相談をもらって読むと、皆さんがどういう想いで会ったことのない私に赤裸々なメッセージを送ってくるんだろうといつも思うんです。その人達はきっと私に「わかってもらいたい」「わかってもらえそう」と感じるのだと思いますが、その人達から見て私が満たされている人のように見えているのかなと感じます。それは私がメディアで見せている光の当たっている部分を見て、羨ましいと思ったり、「自分はダメな人間で孤独を感じているけど、きっとこの人は違う」「自分みたいな悩みがない」と思っているのかなと感じることがあります。それに対して何でとは思いませんが、人は自分の見せたい面しか見せませんし、こう思われたいからこうするとかもあって、SNSは特にそういう場所なので、自分が世に見せている部分は自分の1%にも満たないのになといつも思います。だから孤独を感じている人の場合、自分と他の人を比べて、その差に対して孤独を感じたり、「自分なんて…」と思ってしまうのかもしれません。たぶん皆見せていないだけで孤独を感じていて、「孤独なのは自分だけじゃない」と思うことで決して孤独を解決できるとは思いませんが、実は孤独を感じること自体は悪いことではないのかしれないとも思います。
シャミ:
アキから見たキイタみたいですね。
枝優花監督:
そうですね。皆「自分だけが」とか「自分が」と思ってしまうし、私も思ってしまいますが、逆に1人の時間を作るとか、自分自身を見つめる時間があまりにも少な過ぎるなと感じます。私の場合は子どもの頃、そういった時間が多かった気がします。多くの人が、他者と一緒にいることで他者のことを考え過ぎてしまい、誰かを通してしか自分を見られなくなっていると思います。でも、それってすごくしんどいことだと思いますね。もっと自分が何をしたいのか、何を好きなのか、何で疲れているのかとか、自分に話しかける時間がもっとできたほうが良いのかなと思います。自分のことをわからないと、他人のこともわからないというか、他人のことが見えないからこそ自分を見つめる時間に孤独を感じて、自分のことを大事にして欲しいと思いますし、それが回り回って、自分以外の人を大事にすることに繋がると思うんです。今は「孤独だな」「自分はダメな人間なんだ」と思って、自分を傷付けることが上手い人がたくさんいますが、それはどうなのかなと思います。SNSでもらう悩み相談は、それぞれ内容は違いますが、それに対して私はいつも同じことを伝えていいます。「そんなに自分のことをいじめないで、もっと自分を大事にする練習をするほうが良いよ」って。
シャミ:
ありがとうございます。少し話題が変わりますが、本作や『MIRRORLIARFILMS Season1』の“Petto”、『少女邂逅』を含め、監督の作品は学生を主人公にした作品が多くありますが、この世代の魅力や映画として描きたくなるポイントはどんな点でしょうか?
枝優花監督:
たまたま学生を描いたということもあれば、自ら学生を描きたいと思って作ることもあるので、一概にそうとは言えませんが、私は未完成だったり未熟なものが好きなんです。確立していなくて、それに葛藤している姿が好きなので、たぶんわかりやすく未完成で描きやすいという点で学生なのかなと思います。あとは、私自身経験していなくて、理解できていない人物の演出をすることがまだできないと思っていて、演出する相手は物じゃなくて人なので、そこに対して誠実に向き合うことがまだ足りていないと感じているのもあります。今は20代後半ですが、20代というものもここ最近までわかりませんでした。私自身、激動だったのもありますが、第2の思春期が来たと思うくらいわからなくて、気が付いたら“女子”というより“女性”として見られるようになって、そう思っていたら今度は「結婚はどうするの?」と言われたり、自分の立ち位置が人からの見方でどんどん変わっていることを感じます。それが全然把握できなかったのもあって、20代を描くことは自分の中でちょっと体力がいることだと感じていました。でも、学生ならもう経験して10年の時が立っていて、自分の中でだいぶ整理できていたので、学生を描くことが多いのかもしれません。最近やっと20代の整理がついてきたので、そろそろ自分の世代の物語を描きたいという気持ちにもなっていて、逆に学生については時代も変わって、だんだんとわからないことも出てきて、学生の気持ちを逆に知ったかぶってしまう怖さもあると感じているので、学生はそろそろ1回お休みしたいなと思っています(笑)。
シャミ:
監督が描く他の世代の話もすごく興味があります!今後の作品も楽しみにしています。
枝優花監督:
ありがとうございます。
シャミ:
では最後の質問で、これまでで1番影響を受けた作品、もしくは俳優や監督など人物がいらっしゃったら教えてください。
枝優花監督:
映画を観ることが小さい頃から好きだったのですが、映画を撮ってみたいとか、映画の世界に違う意味で興味を持ったのは、10代の時に観たグザヴィエ・ドランの『マイ・マザー』でした。あの映画は19歳の時に彼が撮っていて、ずっとお母さんとケンカをしている様子が映し出されているのですが、私の学生時代に近い感覚があって驚きました。監督に会ったこともなければ監督の人生も知りませんし、フランスやカナダのことも知らず、わからないことはたくさんあるのですが、たった1本の映画を観ただけでそういうわからない部分を全部飛び越えて心が動くことがあるんだと感じました。普通ならこの感覚を得るために、英語やフランス語を勉強して、お金を貯めてフランスに行って、コミュニケーションをとるなど、たくさんのハードルがありますが、それがなくても映画1本で気持ちに寄り添えたり、コミュニケーションがとれることを知って、映画は文化や言語を越えられるんだということに衝撃を受けました。自分が撮った作品を全然知らない国の人が観て、「何かわかる」と思ったり、「ちょっと救われたな」と感じてもらえて、さらに観た人と話ができたら、すごくおもしろいなと思いました。単に「こういう映画を撮りたい」とかではない、また違う角度から映画を撮ってみたいという感覚をもらったのは、『マイ・マザー』が初めてでした。その経験が今の自分の夢と繋がっているので大事な映画です。
シャミ:
本日はありがとうございました!
2021年9月3日取材 TEXT by Shamy
短編映画『息をするように』
2021年9月18日よりユーロスペースにて1週間限定レイトショー公開、他全国順次公開
監督・監督:枝優花
出演:伊藤万理華/小野寺晃良
配給:ブリッジヘッド
アイデンティティも性自認も定かでない思春期の少年アキは、両親の離婚をきっかけに転校し、自分に自信を持てずに息をひそめるように生活していた。そんなある日、クラスで人気者のキイタに声をかけられたことがきっかけで、少しずつ彼と一緒にいる時間が増えていく。しかし、特別なキイタと何もない自分はつり合わないと感じ、アキは距離をおこうとするが…。
©2021 FAITH MUSIC ENTERTAINMENT INC. UNIVERSAL MUSIC LLC