ネタバレ注意!
今回は、『もっと超越した所へ。』『耳をすませば』を例に考えてみました。
“クズ男”であるか否かは、視点による
『もっと超越した所へ。』は、“クズ男(公式サイトで使われている表現)”に翻弄される女性4人の恋模様を描いた映画で、実写版『耳をすませば』は、読書が大好きな少女と、チェロを弾く少年の10年越しの恋愛を描いた映画です。この2作品で語られる恋愛は一見全く異なるものに思えますが、見方を変えれば共通しているところがあるように感じます。
この2作品を比較する上で、まずはそれぞれの作品に登場するキャラクターの関係をご紹介しましょう。
『もっと超越した所へ。』※計4組が登場
1:押しに弱い女子と、いつの間にかヒモ化した男子
2:何でもお気楽なノリでやり過ごすバカップル
3:お互いに恋愛感情はないと思いながら仲良く同居する2人
4:店員と客という関係でありながらお互いが気になる2人
『耳をすませば』
子どもの頃から本が大好きで作家を夢見る女子と、チェリストになるためにイタリアに渡った男子。10年間、遠距離恋愛中。
『もっと超越した所へ。』に登場する男性陣は“クズ男”の事例として描かれています。一方『耳をすませば』に登場するチェリストの天沢聖司は10年間離れていても月島雫を思い続ける好青年として描かれています。『もっと超越した所へ。』の“クズ男”達は本性が見えてくると、その言動には難ありで、確かに世間一般でいう“クズ男”です。『耳をすませば』の天沢聖司は、チェロに打ち込み、月島雫への思いもぶれず、好青年であることは間違いないように見えます。
でも、彼等の姿が私達の目にそう映るのは、映画の中のキャラクターとして俯瞰して見られるからです。現実世界では、相手が見えないところで何をしているかはわかりません。だから、自分が相手を信じるか信じないかで見え方は変わってきます。
『もっと超越した所へ。』に登場する男性陣は、見えるところでも難ありなので、別れるか、受け容れて交際を続けるか、選択できます。そういう意味では、相手の欠点をわかった上で関係を続けると決めた側にも責任があり、合意の上での交際といえるでしょう。一方、難しいのは『耳をすませば』の2人の関係です。10年間ものあいだ、日本とイタリアで離ればなれというのはかなりのハードルです。でも、好きなら待ち続けるしかなく、ある意味選択肢はない状態ともいえるでしょう。
ネタバレになるので具体的な内容は控えますが、こういう前提で『耳をすませば』の天沢聖司というキャラクターの言動を見ると、物申したいことが出てきます(笑)。10年間の中身が描かれていないので何ともいえない部分はありますが、現実的に考えて10年間は待たせ過ぎ。これは捉え方によって、もしくは、結局別れることになった場合は、“私の10年間を返せ”事例になります。どちらに転んでもお互いに若いから救いようがあるのかもしれませんが、高校生から20代前半のキラキラした時期を会えない相手に費やしたと考えると、その10年間の重みはかなりあります。
そうなると、『もっと超越した所へ。』の関係、『耳をすませば』の関係の両方にメリット、デメリットはあるわけで、結局はお互いに幸せかどうかが重要ではないかと思います。だから、必ずしも片方だけの問題ではなく、アリかナシかを選ぶ側の問題でもあります。“クズ男”を擁護するわけでは決してありませんが(笑)、“クズ男”かどうかは、世間一般が定義するものではなく、付き合う人が決めることであって、その相手を選んだ本人が幸せなのであればそれで良いのではないでしょうか。ただし、『もっと超越した所へ。』『耳をすませば』のような状況はいずれも、幸福を妥協と混同しないようにしなければいけないように思います。
『もっと超越した所へ。』
2022年10月14日より全国公開
ハピネットファントム・スタジオ
公式サイト
『耳をすませば』
2022年10月14日より全国公開
ソニー・ピクチャーズエンタテインメント、松竹
公式サイト
©2022『もっと超越した所へ。』製作委員会
© 柊あおい/集英社 © 2022『耳をすませば』製作委員会
TEXT by Myson