REVIEW
『悪は存在しない』というタイトルにインパクトがあり、鑑賞中はどういう意味が込められているのか考えずにはいられません。自然豊かな村を舞台に展開するストーリーは一見物静かでありながら、あるきっかけによって物々しさを増していきます。そのきっかけとなる出来事は、形は違えど私達の日常によくあることで、利害関係で対立する人達の姿を観ていると、かなりリアルに心を掻き乱されます。
村にもたらされた問題がどう転んでいくのかということに注意が向きながら、それぞれのキャラクターの心情が激しく動き、想定外の一面が見えてくる点もストーリーをよりドラマチックにしています。何気ないセリフをきっかけに一瞬にして空気が変わる瞬間が何度もある点も本作の魅力です。
「悪は存在しない」の意味を考えながら観るなかであらゆる解釈が浮かびつつ、最後にドスンと重い意味が降りかかってきます。地球上の生物としての生存と、人間社会での生存が対比されているような物語の構造も見事です。私達はこういう世界に生きているのだなと実感させられます。
ここからはあくまで私個人の解釈でネタバレを含みますので、鑑賞後にお読みください。
ラストのシーンを観た直後は、何が起きたのか目が点になる方もいるかもしれません。ただ、その前に出てくるある会話にヒントがありそうです。グランピング場を作ろうとしている芸能事務所の高橋(小坂竜士 )と黛(渋谷采郁)、主人公の巧(大美賀均)が3人で車に乗っているシーンで鹿の話をしています。鹿が生息している森にグランピング場を作るなら、鹿はどこへいけばいいのかと巧は高橋と黛に問います。その時、高橋は鹿が他のところへ行けばいいと答えます。また、鹿は害がなければ人間を襲わないけれど、危険を感じた場合は違う(厳密な表現では少し異なるかもしれません)というようなことを巧は話しています。
ラストで、鹿に近づき過ぎた娘は恐らく鹿に攻撃されて鼻血を出したのでしょう。巧と高橋も、鹿と人間に置きかえてみると、巧はこの村にとって高橋を有害と考え、あのような行動に出たのではないかと解釈しました。この世に「悪は存在しない」けれど、いつも誰かの”都合”が存在するということではないでしょうか。
ご覧になった方は、どんな解釈をされたでしょうか。上記はいち解釈として捉えていただければと思います。
デート向き映画判定
ロマンチックな要素はなく、特別デート向きというわけではないものの、鑑賞後はお互いの解釈を話して盛り上がれそうです。何度か一緒に映画を観ていて、気楽に感想を言い合える2人なら一緒に楽しめるのではないでしょうか。相手が観察、考察が好きな方なら特に喜んでくれそうです。
キッズ&ティーン向き映画判定
わかりやすい説明があるタイプの映画ではなく、何を読み取るかによって、楽しさが変わる作品といえそうです。キャラクター達の日常が一見淡々と描かれているので、これまでアクション超大作など、見た目に派手な映画しか観たことがない方は慣れない感覚になるかもしれませんが、キャラクター達のセリフや受け手の反応を細かく観ると、人間ドラマを中心とした映画の醍醐味を知るきっかけになると思います。
『悪は存在しない』
2024年4月26日より全国順次公開
Incline
公式サイト
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TEXT by Myson