「子どもは生まれた時から完全に親を頼り切って生きる。でも100%信頼している親を、果たして信頼し続けて良いんだろうか」という監督が抱いた疑問がきっかけとなった本作。キャラクター設定がすごく綿密な印象の作品ですが、今回監督の意図が詳しくお聞きできて、なるほどと思うことばかりでした。
<PROFILE>
アダム・グジンスキ
1970年生まれ、ポーランドのコニン出身。ウッチ映画大学でヴォイチェフ・イエジー・ハスの指導を受け、1996年に短篇“Pokuszenie”を発表。1998年には、父親のいない少年を主人公にした短編“ヤクプ Jakub”がカンヌ国際映画祭学生映画部門で最優秀映画賞を受賞したほか、数々の映画祭で受賞する。短篇“Antichryst”(2002)を手がけた後、2006年、初の長編映画“Chlopiec na galopujacym koniu”を発表し、作家の男とその妻、7歳の息子の静かなドラマを描いたこのモノクロ映画は、カンヌ国際映画祭のアウト・オブ・コンペティション部門に正式出品された。
親のエゴに気付いた子どもはどうなる?
マイソン:
子どもと大人の狭間と言えば、12歳はもちろん、15歳、17歳もある意味狭間かなと思いますが、主人公の年齢を12歳にした理由は何ですか?
アダム・グジンスキ監督:
おっしゃる通り、12歳は大人と子どもの中間ですが、それより少し上の年齢でないということは、まだ自分の考えというものを言葉で表現できない、あるいは、ある種の大人の難しいテーマや、大人の感情というものにまだ対峙できない年齢であるということです。つまり、彼は黙っていることになるわけで、自分の問題を名指しすることができないんですね。そのことがこの映画のテーマであって、夏休みの間に彼は急速に大人になっていき、初めてお母さんに対峙できる状態になっていくんです。もし主人公があと2歳年齢が上だったら、「なんで、お母さん夜出かけて行くの?誰と会ってるの?」って母親にはっきり聞いたと思うんですよ。でも、彼はまだ実際に何が起きているのか、100%理解できてない。何か悪いことが母親に起きていて、家に父親がいないことを巡って、母親と父親の関係が何か悪いシチュエーションになっていることはわかっているんですけど、それを名指しできない年齢ということで12歳にしました。
マイソン:
なるほど!冒頭シーンでかなり引き込まれたのですが、最初の段階からあのシーンにすると決めていたのでしょうか?もしくは、編集していく上で、組み立てていったのでしょうか?
アダム・グジンスキ監督:
シナリオを書いた時から考えていました。強烈な出だしにしたいと思ったんです。例えば、お母さんと子どもが自転車に乗って田園風景を走っているところから始めてもかまわないわけですけど、ああいうシーンで始まることによって、何かが最後に起きるということを観客に予想させることができます。あまりにも強烈に何かを押しつけ過ぎる、何かを強く約束してしまうので、ある種のリスクではあるんですけどね。でも、とにかく一旦そうやって始めておいて、その中でどれだけのことを物語ることができるか、自分に対して、一種の課題を押しつけてみたわけです。観客に対する約束を守るようにするにはどうすれば良いか、自分の課題をはっきりさせるために、ああいう冒頭にしました。
マイソン:
次にキャラクターについてお伺いしたいのですが、マイカという少女ついて、こだわりや注意した点はありますか?
アダム・グジンスキ監督:
マイカは、主人公の少年に深い感情的な関係を結ぶことができるんじゃないかと期待を抱かせた存在です。彼女のほうが少し年長ですから、彼女との結びつきは必ずしも自然ではありません。もしかしたら彼女は、自分より年長の男性で、もっと危険なニオイのする男のほうに惹かれていくかも知れないわけです。そのことは、主人公の母親の振る舞いの反映でもあるわけで、このマイカという存在を通して、主人公の女性全体に対する見方が急速に変わっていきます。母親に対して彼は思うように言いたいことが言えないんですが、マイカに対しては自分の言いたいことをかなりドラスティックに表現します。それは本当は自分が母親に対して言いたいことなのかも知れないし、家の中で何か起きているっていうことが、マイカとの関係に対してもやはり影響してくる。そういう重ね合いを狙いました。
マイソン:
劇中で“お母さんがどんどん綺麗になっていく”様子が描かれていましたが、こういったお母さんの変化は、息子の立場からしてどういう心境なのでしょうか?やっぱり複雑な心境ですよね(笑)。
アダム・グジンスキ監督:
もしも母親が綺麗になっていく理由が父親以外の男性だったら、これは子どもにとって非常に辛い状況ですよね。この場合、母親が自分の中に眠っている女性性を自分自身で発見して、より女性らしくなっていきます。つまり夫に開拓できない女性性を、別の男性がきっかけで発見していくわけですから、主人公の少年も何となくそれを感じているわけです。でも彼はそういう母親に対して忠実でないといけないと思っていると同時に、父親に対しても忠実でなければいけないと思っているんです。結局彼は板挟みになって、それぞれの親が自分のエゴのために彼を使っていたというか、両親の思うように自分がなるよう望まれていたっていうことに気付いて、彼自身も絶望的な気持ちになっていく、そういうことだと思います。
2019年4月26日取材 PHOTO & TEXT by Myson
『メモリーズ・オブ・サマー』
2019年6月1日より全国順次公開
監督・脚本:アダム・グジンスキ
出演:マックス・ヤスチシェンプスキ/ウルシュラ・グラボフスカ/ロベルト・ヴィェンツキェヴィチ
配給:マグネタイズ/配給協力:コピアポア・フィルム
12歳のピョトレックは、母と一緒にポーランドの小さな町で新学期までの夏休みを過ごしていた。父は出稼ぎで外国に滞在中だったが、ピョトレックは母との時間を楽しんでいた。だがやがて母はピョトレックを家に置いて、毎晩出かけるようになり、2人の間に不穏な空気が流れる。そんな矢先、父が帰ってくるのだが…。
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