SEL(社会性と情動の学習)で伸ばそうとする社会的能力の一つに「自己への気づき」があります。他者を知るにも、共感するにも、自己をコントロールするにも、そもそも自分のことを全く理解していなければ始まりません。
SEL(社会性と情動の学習)の定義とSELで向上を目指す8つの社会的能力についてはこちら
前回述べた「本当の自分になることの重要性」について、もう少し掘り下げます。
不安は自信のなさと関連しており、対人関係でいえば「神経症的な人間が不安に悩まされているのは、自信のない自分の内面の世界を相手にのぞかれてしまうような気がするからである。そしてそのように不安だからこそ、自分の重要性を相手に示そうとする」(加藤諦三,2006,p.62)と考えられています。
また、こうした不安の背景には、相手を本当は好きではなく、好きだと思うように努力していて、相手に対する敵意を抑圧していると同時に、相手が自分を攻撃すると感じて過剰に防衛しようとする心理があるといいます。そのような状況に陥っているかどうかは、相手といて何となく落ち着かないというような感覚でわかるとされ、「理由の分からない焦りを感じるとしたら、その人のことを心の底では嫌いなのかもしれない」という指摘があります(加藤諦三,2006,p.66)。
これは、高嶺の花を狙うとか、そういう次元の話と混同せずに捉えたほうが良いでしょう。論点は、自分を信じているかということです。
もう少し噛み砕くと、自分自身を知らなければ、自信を持つ=自分を信じることはできません。それは、見知らぬ他人を信じることができないのと同じです。自分がどういう人間かを自分自身が信じられるくらいに知ることで、自分にできること、できないこと、好きなこと、嫌いなこともより明確に見えてくるはずです。

そうして感覚が鋭くなればなるほど、自分がやるべきこと、やるべきではないこと、挑戦する意義があること、ないことなどが見えてくると思います。そうした土台がないまま、世の中の価値観、ものさしで良いといわれる物事を自分の幸せと鵜呑みにすれば、幸せが長く続かないのも当然でしょう。
恋愛関係を例に考えてみましょう。自分が心から好きな人かどうかを重視せず(もしくは自覚できず)、スペックを重視したり、周囲が良いという相手を選んだとします。あなたは相手に好かれるために、さまざまな努力をします。やっと交際に漕ぎ着けた場合、もしくは結婚した場合、周囲からも羨ましがられて、自分も一旦満足できるかもしれません。
でも、もしあなたらしくいられない状態のまま、ずっと相手に無理に合わせ続けると…
1:どんどん自分がなくなっていく。
2:自分がなくなっていくので、自分がわからなくなり、自分を信じられなくなる。
3:自分を信じられないので、自分の意志で行動することが減り、相手への依存が深まる。
4:すべて相手次第になるので、相手にとって重たい存在になる。
5:別れを切り出された場合、何も残らない。
上記はあくまでシミュレーションです。そして、好きな相手のために行動することを否定しているわけではありません。行動そのものではなく、動機、理由の問題です。心から相手を好きで、自分の意志と責任で、自分が納得してそうしているなら、多少辛いことがあっても乗り越えられるし、望まぬ結果になっても後悔をせず、次に進む自信に繋がるでしょう。言い換えれば、自分がどんな動機でそうしているのかわかるためにも、自分を知らなければいけないし、自立と自律ができているかが重要です。
自分を見失うことの危険性は、多くの映画でも語られています。次回は具体的な作品を挙げて、自分らしさを失う辛さについて考えたいと思います。
<参考・引用文献>
加藤諦三(2006)「自分に気づく心理学(愛蔵版) 」PHP研究所
TEXT by 武内三穂(認定心理士)