壮絶なご近所バトルから始まる人間ドラマ『ミセス・ノイズィ』を撮った天野千尋監督にインタビューをさせていただきました。1度会社員になってから、映画監督の道へ進んだ天野監督は、どんな経緯を辿ってきたのかなど、聞いてみました。
<PROFILE>
天野千尋(あまの ちひろ):監督、脚本
1982年生まれ。約5年の会社勤めを経て、映画を撮り始める。ぴあフィルムフェスティバルをはじめ、国内外多数の映画祭に入選・入賞を果たす。主な監督作に『フィガロの告白』『どうしても触れたくない』『うるう年の少女』などがある。
始めは会社務めをしながら映画作りをして、やがて映画監督へ
マイソン:
都会は特にご近所付き合いがほとんどないことが多いと思うのですが、映画の2人はきっかけはどうあれ、皆が面倒くさいって思うところに踏み込んでいましたよね。監督ご自身は、こういう状況の場合どんなスタンスをとりますか?
天野千尋監督:
私は喧嘩が嫌いなので、和やかに接しようとします(笑)。
マイソン:
隣に住んでいるだけだと価値観もわからないし、家族構成もわからないところがあるし、やっぱりどんな人かわからないですもんね。
天野千尋監督:
そうですね。そういう意味ではやっぱりあまり踏み込もうとしないかもしれません。現代の多くの人と同じように、厄介なことには関わりたくないって思っちゃう気がしますね。ただ映画を撮る立場としては、やっぱり人との関わり合いからドラマって生まれるじゃないですか。だからコミュニケーションにおいて結構グイグイ踏み込む人の話を聞くとすごくおもしろくて、ネタがあって良いなって思います(笑)。私は自分からは全然ネタが生み出せないんです。たとえば世の中で起こった事件や出来事に対しても、強い意見を抱いたり怒ったりできる人もいますが、私はそこまでのモチベーションになれないというか、ものすごく強烈な怒りや主張をなかなか抱かないタイプなんです。妙に客観的になって、こっちから見たら確かに腹が立つけど、違う立場から見たら仕方ないよなって、自分の中で納得してしまうんですよね。出来事に対しても人に対してもその傾向があるので、ドラマを作りにくいタイプなんです。だから映画作家としては、この脚本を書く前もそれにすごく悩んでいました。社会でリアルに起きたことを題材にしたいなとは考えていたんですけど、強烈にこの不条理を訴えたいって題材が全然なくて、どうしようかなと。いろいろ考えている時に、それだったら自分の頭の中そのものを表現したらおもしろいかなと。こっちから見たらこう見えたものが、逆から見たら全く違って見えるみたいなのは、もしかしたら私だからこそ描けることかもしれないと思って、それを題材にしようとなったのがこの作品ですかね。
マイソン:
この映画を観ていて、前半と後半で180度真逆の心境になるので、今お話を聞いて、監督の個性がそういうところにすごく出ていたんだなって、今改めて思いました。
天野千尋監督:
良かったです。一方で、結構「監督、主人公みたいだね」って言われることもあります。自分ではあんなに突っ走っているつもりはないんですけど、端から見たらガンガン行っているタイプなのかもしれないです(笑)。
マイソン:
そうなんですね(笑)。今だと何でもSNSやネットに上がってしまって、その時間、その場所にいなくても野次馬的になれるというところで新たな問題も起きると思いつつ、ネットやSNSがあることのメリットもあると思うんですが、ネットで他人の問題に介入してくる人達の功罪って何だと思いますか?
天野千尋監督:
愚痴でも批判でも、家族や身近な人に直に話している分には何の問題もないじゃないですか。でもそれをSNSで世の中に発信すると、1つの意見として強烈に広まっていく可能性があって、もちろん当事者にも届くかもしれないし、当事者以外の人も傷付けるかもしれないってことを、皆がそれほど意識せずに発信をしているような気がします。しかも、SNSは言葉が短い分、すごく一面的な情報というか、多面的なものが1つに集約されてラベリングされてしまうみたいな性質があると思うので、それはすごく怖いなと思います。見えやすくて伝わりやすいのは良いところでもあるんですけど、すごく一面的なものばかりが見えて、奧にあるものが全く見えなくなっているような感覚があります。
マイソン:
確かにそういうところがあるかもしれないですね。ではちょっと話題が変わるんですが、監督は5年間会社勤めをされてから映画監督になられたと資料に書かれていました。映画監督になりたいと前から思っていたのか、なるつもりはなかったけど結果こうなったということなのか、お聞きしたかったんです。
天野千尋監督:
なるつもりは全然ありませんでした。映画も20歳くらいまで全然観ていなくて、自分が今映画を撮っているのが不思議なくらいです(笑)。
マイソン:
そうねんですね!何かきっかけがあったんですか?
天野千尋監督:
子どもの頃は周りにあまり映画好きの人がいなかったこともあり、ほとんど映画に触れてこず、『タイタニック』や『インデペンデンス・デイ』のようなハリウッドの超大作が映画だと思っていたので、あまり興味が湧かず観にもいきませんでした。だけど、大学生の時にたまたま深夜のテレビで白黒映画が放送されていて、観始めたらすごくおもしろくて、気づけば最後まで観ていました。それが今考えると、フェデリコ・フェリーニ監督の『道』でした。そこから映画っておもしろいものかも、と気付き始めて。また深夜にテレビを点けたら、『バスを待ちながら』っていうキューバの映画をやっていたんです。それほど有名な作品ではないんですけど、それもすごくおもしろくて。小さい身近な題材でも映画って撮れるんだなと思いました。ちょうどその頃、中国に1年間くらい留学したんですけど、日本映画、中国映画、韓国映画、例えばポン・ジュノ監督とか、イ・チャンドン監督の作品、中国映画だとチャン・イーモウ監督やジャ・ジャンクー監督の作品をたくさん観て、映画を撮りたいって思うようになりました。それで日本に帰国してから大学の最後に短い期間だけ映研に入って、友達と1本撮ったっていうのが最初の映画制作体験です。
マイソン:
すごく短い間に劇的な変化があったんですね!!
天野千尋監督:
思い立ったんでしょうね(笑)。でも、中国にいた時に撮りたいなって気持ちがすごく高まったんですよね。邦画業界も1980年代にかけて低迷気味だったのが、1990~2000年代で盛り上がっていたような時期で、豊かな作品がたくさん生まれていて。
マイソン:
そのお話を聞くと、監督が周りの方に主人公みたいに突っ走る感じって言われるのが、そういうところなのかもしれないなって思いました(笑)。
天野千尋監督:
そうなのかもしれないです(笑)。大学で映研に入ったのも留学後の5年生の冬くらいだったので、映研の人も「今さら何しに来たの?」みたいな感じでしたが、撮らせてくれました。
マイソン:
そこから会社勤めをしながら、映画制作についても温めつつやろうみたいな。
天野千尋監督:
はい。就職して数年が経って、ENBUゼミナールという映画専門学校に夜間で通い始めました。そこで映画を一緒に作れる仲間と出会って、卒業制作を撮ったのが踏み入れたきっかけですね。
マイソン:
じゃあ、そこからやるって決めて準備をしていったんですか?
天野千尋監督:
というわけでもなく、映画でやっていける可能性があるかわからないけど、とりあえず作り続けたいという気持ちが強かったです。何本か自主映画を撮っているうちに、映画祭で入選するようになって、それなら会社を辞めてやろうかってなりました。
マイソン:
最初は会社員をしながら映画を作っていたんですね!すごい!
天野千尋監督:
いえいえ、楽しかったので。
マイソン:
では最後の質問で、監督がこれまでですごく大きな影響を受けた映画か、監督、俳優がいらしたら教えてください。
天野千尋監督:
たくさんあって1つ選ぶとなると迷うんですけど…。1本を挙げるとしたら、ロマン・ポランスキー監督の『水の中のナイフ』です。初期の作品で、影響を受けたというか、とにかく大好きです。船に男女3人が乗ることになって、湖の上で一夜を過ごすんです。3人のうち2人は夫婦で、そこにナイフが1本あるんですけど、サスペンスもあり、ラブロマンスもあって、すごくアーティスティックでもあって、ジャズも美しくて、そこに映画のすべてがあるみたいな感じなんです。しかも設定がものすごくシンプルなんです。男女が3人いてナイフがあったら、何か起こりそうじゃないですか。そのシンプルな設定で1本貫いているのが秀逸で、素晴らしいです。
マイソン:
本日はありがとうございました!
2020年11月11日取材 PHOTO&TEXT by Myson
『ミセス・ノイズィ』
2020年12月4日よりTOHOシネマズ 日比谷 ほか全国公開
監督・脚本:天野千尋
出演:篠原ゆき子/大高洋子/長尾卓磨/新津ちせ/宮崎太一/米本来輝/洞口依子/和田雅成/縄田かのん/田中要次/風祭ゆき
配給:アークエンタテインメント
子育てをしながら、小説を書く吉岡真紀は、スランプ中で新作がなかなか書けないでいた。新居に引っ越し、心機一転小説の執筆に打ち込もうとする真紀だったが、早朝から隣人が布団を叩く音で集中できず…。
©「ミセス・ノイズィ」製作委員会