フランスで長年に渡り、児童に対して性的虐待を行っていたプレナ神父に対する告発を巡る実話をフランソワ・オゾンが映画化。被害者達は当時子どもで声を発することができなかった、もしくは発したとしても大人に相手にされないままだったか、親が教会に訴えてもうやむやにされたかなどで、長年苦しんできましたが、1人の犠牲者が真相を告発したことで、最終的に80人以上が被害者として名乗り出て、この事件は現在も係争中だそうです。この事件にはさまざまな怖さがあり、まずは性虐待、そしてプレナ神父が児童に性的虐待を行っていると知りながら放置したカトリック教会の組織的な闇、「私は病気で私も苦しんでいる」とのうのうと言ってしまうプレナ神父や、何でも神の仕業ということで済ませてしまうバルバラン枢機卿など一部の聖職者の歪んだ体質です。神に仕えているはずの教会関係者が神の存在を自分達に都合良く使っている姿が腹立たしく、一部の人間が神に仕える者という立場を悪用して弱い者を傷つけているという現実に絶望します。プレナ神父を裁き、聖職を奪うことだけでなく、この訴えがどう社会を動かし、カトリック教会の体質を変えられるのかが最大の争点になりますが、熱心な信者や真面目に働いている協会関係者への配慮、被害者達をセカンドレイプから守ることなど、プレナ神父やカトリック教会を訴える前に考慮しなければいけないことが山積みで、だからこそ余計に訴えられるリスクの低さから、こういう犯罪が横行してしまうのだというのが伝わってきます。そして、こういう訴えはどんな経路を辿ったとしても美談にはなり得ず、被害者は苦しみ疲弊して、事件の後にやっと掴んだ幸せがあったとしてもそれをまた犠牲にして、この問題にエネルギーを奪われてしまうんだという実態を、丁寧に生々しさをもってリアルに描いている点で、フランソワ・オゾンをはじめ、役者達の手腕を感じます。「信仰とは何か?」という問いかけをもつ作品ですが、ラストシーンのアレクサンドルの表情が見事にその答えを物語っています。
パートナーが心に深い傷を抱えていて、それを誰かに話すことさえ辛い状況のなかで、その問題と向き合おうと決意した時、それを支えるのは想像以上に難しく大変なことだというのも描かれています。その体験があまりに辛いものだと、身近な人がそんな辛い目に遭ったのだという事実を受け入れる側も辛いのは当然のことです。そんなことを念頭に入れながら観ると、相手への気持ちがどれほどのものか自覚できるかも知れません。それを知るために一緒に観るのもアリではないでしょうか。
その性的な虐待行為が何を意味しているのかをまだはっきりとわからないような、大人に悪いことをされている気がしてもノーと言えないような年齢の子ども達が被害に遭い、大人になってからも苦しんで、ようやく相手を訴えたという実話です。子どものうちに観るのは怖い部分もありますが、「これはおかしい」「怖いことが起こっている」とその場で気付いて逃げ出して、助けを求められるように、知っておくことも必要ではないかと思います。そして、神父など、本来正義の立場であるべき人間の中にも悪い人はいることも、子どもに教えておくべきではないかと思います。保護者が助言を加えながら観て、万が一こういうことが起こったらどうするべきか、これを機に話し合ってみてはどうでしょうか。
『グレース・オブ・ゴッド 告発の時』
2020年7月17日より全国公開
キノフィルムズ、東京テアトル
公式サイト
©2018-MANDARIN PRODUCTION-FOZ-MARS FILMS–France 2 CINÉMA–PLAYTIMEPRODUCTION-SCOPE
TEXT by Myson