本作は、1年前に死んだバンドのボーカル、アキ(新田真剣佑)と、人付き合いが苦手な大学生、颯太(北村匠海)が1つの体を共有するというユニークな青春音楽ラブストーリー。今回、本作でメガホンを執った萩原健太郎監督にインタビューをさせて頂きました。監督のこだわり、俳優さん達について、そしてアメリカと日本の映画作りの違いなど、いろいろなお話を聞けました。
<PROFILE>
萩原健太郎 (はぎわら けんたろう)
1980年生まれ、東京都出身。2000年からアメリカ、ロサンゼルスのArt Center College of Design映画学部で学び、帰国後は、多数のテレビCM、MV、ショートフィルムの演出を手掛ける。2013年、初の長編脚本“Spectacled Tiger”が、アメリカのサンダンス映画祭で最優秀脚本賞、サンダンスNHK賞を日本人で初めて受賞。2017年、人気コミックの実写映画化『東京喰種 トーキョーグール』で長編映画監督デビューし、2018年には河瀨直美らと共に短編プロジェクト『CINEMA FIGHTERS/シネマファイターズ』に参加し、短編映画『Snowman』を監督した。その他、NHK BSプレミアムドラマ『嘘なんてひとつもないの』で演出を手掛け、ATP賞ドラマ部分奨励賞を受賞。
死んだ人を描いているけど、生きている時間、生きる意味を描いている
マイソン:
今回は設定上、映像にするのがすごく難しそうなところがたくさんありましたが、映画を撮るにあたって一番やり甲斐があると感じた部分はどんなところでしょうか?
萩原健太郎監督:
脚本は最終的に36稿までいきました。そのなかでプロデューサーや脚本家と、入れ替わりの設定とかビジュアルを考えたんです。要は入れ替わるのか、重なっていて抜けるのかとか、共通認識を作るまでに時間がかかりました。でも映像化するにあたっては、やっぱり演奏シーンが1番大変でした。
マイソン:
どんな難しさがあったのでしょうか?
萩原健太郎監督:
まず演奏する楽曲が多いんです。普通の日本の音楽映画に比べたらめちゃくちゃ多くて、でも演じる役者の皆さんは忙しくて練習する時間もあまりないから、最初はこの演奏シーンはドラムの寄りとかギターの手元とか、決めて撮らないと無理だとプロデューサーに言われていたんですけど、僕は嫌だと。寄る必要性がないし、ちゃんと丸っと皆が演奏できるようにならないと、絶対に芝居的にも良くないし、ライブ感が出ないからって言ったら、皆それをちゃんと理解してくれて、最終的には全員がちゃんと全曲演奏できるようになったんです。
マイソン:
すごい!!
萩原健太郎監督:
そうなってから、カメラマンとどういう撮り方が良いのかなど話し合いました。撮影当時『ボヘミアン・ラプソディ』と『アリー/ スター誕生』の2つの音楽映画があって、『アリー〜』ってわりとキャラクターに寄った撮り方をしているじゃないですか。やっぱりライブを撮るというよりは、“人”を撮らないといけないし、そっちのほうが映画としてちゃんとストーリーが伝わるんじゃないかっていうところから考えていきました。あと、演奏シーンが多いなかで、どうそれぞれを差別化していくのかっていうことは結構話し合いました。
マイソン:
音楽映画は、正直私も観てて本当に俳優さんが弾いているのかすごく気になるので、全部ちゃんとご自身で演奏してるって聞くと改めてすごいなと思います。
萩原健太郎監督:
彼らは本当にすごいですよ。
マイソン:
今回観ていて、個人的に『ゴースト/ニューヨークの幻』を思い出して、ちょうどそれがカセット世代が観ていた映画でもあると思いました。本作のメインターゲットは若い方だと思いますが、30代後半以上の人にも結構ハマる作品なのかなと感じて、そういう複数の世代を意識されている部分はありますか?
萩原健太郎監督:
それはすごく意識していて、いわゆるただの若者向けの映画にはしたくなかったんです。すごく難しいなって思ったのが、例えば難病で大切な人が亡くなる設定とかあるじゃないですか。でもあれって若い人達にとってはファンタジーだと思うんです。状況的に確かに悲しくはなるけど、そこに本当の死みたいなものって含まれていない気がするんです。あと幽霊モノもいっぱい観て、それも観ていておもしろいんですけど、幽霊に別に共感できないじゃないですか。そうなった時に誰もが観て共感できて、どの世代の人にも刺さることって何だろうって考えた時に、やっぱり「人はいつか死ぬ」ってことじゃないかと。だから死に際の話にしようと思ったんです。このアキ(新田真剣佑)っていうキャラクターが、皆にとって自分は必要だと思っていたけど、実はそうでもなくて、皆は前に進むなかで、自分は必要じゃない。じゃあ自分は本当は何がしたいのか、何を表現したいのかってなった時に歌だと。そこで初めて自分の存在意義みたいなものを見つけられて、輝いてこの世から去っていく。それって死んだ人を描いているけど、生きている時間を描いていて、生きる意味みたいなものを描いていると思うんです。そうなったら男の哀愁みたいなものを感じられるし、おじさんにも刺さるんじゃないかなとか、そういうことはすごく考えました。
マイソン:
死が身近にある世代と若い方では感じ方が違いますもんね。
萩原健太郎監督:
そうなんですよ。だから普通にやって大切な人が亡くなった経験がある人じゃないとわからない映画になると良くないなと思ったんです。どうしたら自分が存在できるのかみたいな話に見えたら、それはそれで若い子にも刺さるかなって。今の若い子達って失敗を恐れたりするから、自分を表現しない子が多いじゃないですか。例えば、人に言われたり叩かれるのが怖いとか、その生き方は楽だけど、果たして生きている意味があるのかって思っちゃうんですよね。
マイソン:
確かにそうですね。で、次はちょっとおかしな質問になりますがすみません(苦笑)。劇中最初のほうでアキの彼女のカナ(久保田紗友)は、見知らぬ男性、颯太(北村匠海)に追いかけ回されるじゃないですか。あれって普通に考えたらめちゃめちゃ怖いと思うので、私は観ながら「これって、新田真剣佑さんと北村匠海さんじゃなかったら、全然違った内容に見えるんじゃないか」と想像して楽しんだ部分もありました(笑)。でも、映画を作る上で、やはり観客は綺麗なものを観たがるということもあるので、ルックスが良い俳優さんを起用するのは当たり前だと思いつつ、監督のなかでルックスが活きるケースとルックスが邪魔になるケースって、何か基準はありますか?
萩原健太郎監督:
何となくわかりますね。
マイソン:
ルックスの良さだけに特化しない話なのかも知れないですが…。
萩原健太郎監督:
今回の2人が逆の役だったら成立していないと思うんですよ。新田くんって実在感がないじゃないですか。こんなにカッコ良い人なんているはずがないって。だからこそ死んでいるっていう設定にリアリティがある気がして、これが逆だと、すごく違和感が出る気がするんですよね。この彼のパーフェクト過ぎるビジュアルと死んでいるっていう設定はわりとマッチしているなって思いました。あと葉山くん、上杉くん、清原くんの3人に関しては、この3人に決まってからダメな部分を結構作ったんです。見た目もカッコ良くて性格も良いと、よりリアリティがなくなるじゃないですか。特に清原くんが演じた森は、イケメンで優しいけど、特に何もできないし自分で行動しない他人任せの奴にすると、本当に居そうな人になるだろうし、(ロケ地長野の)松本でくすぶっている感じが出るというか。葉山くんの役も、カッコ良いけど調子に乗り過ぎてウザい感じとか、わりとそういうダメな部分を作ることで、イケメンさを補ってリアリティを出しました。衣装とか髪型とかもありますけどね。でも不思議なもので、毎日一緒にいるとイケメンってことを忘れちゃうんですよね(笑)。1ヶ月くらい松本で毎日一緒にいたんですけど、新田くんとか普通にその辺を歩くんですよ。いるはずのない人がいるとやっぱりビックリするんですよね、人って。しかも目立つんですよ。どこから見ても新田くんなんですよね。「目立つから来るな」って言ってるのに(笑)。
マイソン:
それは松本の方々もビックリですよね(笑)。話題は変わりますが、監督はアメリカで映画を学んだそうで、日本ではなくアメリカで学ぼうと思ったきっかけは何だったのでしょうか?
萩原健太郎監督:
高校を卒業して、日本で2年間、映画の専門学校に行ったんですよ。そこである先生がいきなり「日本で映画監督になっても暗い未来しかないぞ」みたいなことを言っていて、クリエイティブで夢があるものを作るはずなのに、やたらと現実を押し付けてきたので、何だろうなと思ったんです。あとは、さらに遡るとやっぱりアメリカ映画が好きだったのと、アメリカ文化にすごく憧れがあって、子どもの頃からアメリカにずっと行きたかったんです。そんな経験や思いもあって、やっぱり映画がやりたかったから、その産業の中で世界で1番大きいアメリカの産業を見てみたいと思ったのがアメリカに行ったきっかけでした。
マイソン:
そうだったんですね。映画の仕事をしようと思ったきっかけの作品はありますか?
萩原健太郎監督:
特にこの1本というのはないですが、わりと子どもの頃から映画を観るのは好きで、たぶん最初にハマったのはティム・バートン監督の『ビートルジュース』です。子どもの頃に観て、「あれ?これは僕が観て良いものなのかな?」って観てはいけないものを観ているような気がしたんです。でもまた観たいから、家ににあったVHSだったか、こっそり観てすごいなって。それが映画との最初の出会いだった気がします。
マイソン:
実際にアメリカで学ばれて日本に帰られて、アメリカの映画作りと日本の映画作りで大きな違いってありますか?
萩原健太郎監督:
アメリカにいた時も僕が本当にハリウッドの産業で働いたことはなかったので、具体的にはわかりませんが、学生をやっていた身からすると、アメリカの場合は学生とプロが密接に繋がっていました。例えば機材屋さんは、学生でも安く貸してくれますし、プロの編集室も学生でも安く貸してくれたりするんですよ。若い編集マンだったり、機材屋さんとかに企画をプレゼンしたら、カメラとかをタダで貸してくれたり。学生も本当のプロのルールに則って撮影しないといけないから12時間を越えたらオーバータイムでダメとか、世界中から役者が集まっているので、学生映画でもすごくレベルの高い人がオーディションに来てくれて。もちろん有名なハリウッドスターではないですよ。でもユニオンとかに入っている人がタダで出てくれたり、映画を作るっていうことに対して寛容な文化なんです。ロケ地もタダで貸してくれたり、撮影をしていても特に文句は言われないですし。でも日本だと、撮影に対して本当に厳しいんです。
マイソン:
業者さんとかも、ある程度コネがないと協力してもらうのは無理だったり?
萩原健太郎監督:
無理だと思います。あとは単純に安くしてくれないとか、だからそもそも映画作りができる環境が日本にはない気がします。国も全然支援してくれないじゃないですか。あとは単純にお金が儲からないですよね。だから仕事として成立している人が少ないっていう現状はありますよね。産業の大きさだから、それはしょうがないんですけどね。
マイソン:
また海外でも撮りたいですか?
萩原健太郎監督:
撮りたいですね。でも、ザ・ハリウッド映画をやりたいというより、向こうのスタッフや役者とやってみたいっていう気持ちです。
マイソン:
では最後の質問で、今はいろいろなデバイスで映画を観ることができますが、映画を作る側の監督はどう感じていらっしゃいますか?
萩原健太郎監督:
観るプラットフォームが多様化しているのは、すごく良いことだと思うんですよ。僕が映画が好きなのは物語が好きだからで、1日の中で物語で埋まる時間が増えていくじゃないですか。それって体験として豊かだと思うんですね。映画館や家だけじゃなくて、移動中にも映画が観られるとなると、さらに物語に触れる機会が増えて、僕はすごく豊かな経験で良いなって思います。ただこの映画に関しては音楽映画なので、やっぱり良い音で劇場で観てもらいたいっていう思いはあります。ただそれはそれ用で、スマホで観るならスマホ用に作れば良いと思います。映画監督という視点だといろいろな思いはありますが、1歩引いて物語に携わる人間として考えた時には、選択肢があっても全然良いんじゃないかなと思います。
2020年1月10日取材 PHOTO & TEXT by Myson
『サヨナラまでの30分』
2020年1月24日(金)より全国公開
監督:萩原健太郎
出演:新田真剣佑 北村匠海 久保田紗友 葉山奨之 上杉柊平 清原 翔 牧瀬里穂 筒井道隆 / 松重豊
配給:アスミック・エース
一年前に死んだ人気ミュージシャンのアキと、人と距離を置いている就活中の颯太。出会うはずのない、正反対な二人をつないだのは、アキが遺したカセットテープ。再生ボタンを押した30分間だけ、アキは颯太の体を借りて、恋人やバンド仲間に会いに行く。それは颯太と彼女との出会いでもあった――
アキと颯太の歌が彼女に届くとき、三人の世界が大きく変わり始める。
©2020『サヨナラまでの30分』製作委員会