自分や他者の思考がむき出しになっている世界を描いた『カオス・ウォーキング』。この映画を観ていると、人間にとって“何も考えないようにすること”はとても難しいことがわかります。そこで今回は“自動思考”による影響についてご紹介します。
普段私達は何かを見たり聞いたりした時に「綺麗だな」「楽しそうだな」「あの人は嫌いだ」「何だか不愉快だ」などというように感情や評価が自然に湧いてきます。でも、その一つひとつに毎回意識を向けているわけではありません。それが映画『カオス・ウォーキング』では、いちいち自分の思考が表面に見える形で表れてしまうために、本人もそれを意識することになります。そうなると「そんなことを考えるなんておかしな人だと思われる!」「あの人に本心を知られたら恥ずかしい」「秘密がバレてしまう」という不安が湧いてきます。それってすごく疲れるし、しんどいですよね。だからまさに『カオス・ウォーキング』で描かれる状況は、“カオス(混沌)”なのだと言えます。
私達の実世界で考えてみた場合、他者に心の中を本当の意味で覗かれることはないにしても、自分をごまかすことはできません。だから、「嫌われたらどうしよう」「失敗したらもう立ち直れない」「こんな発言をしたらバカにされてしまうかも」というように、ネガティブな思考に毎度意識が向いてしまうとどんどん辛くなっていきます。また、例えば友達に挨拶をした時にその友達が挨拶を返さなかった場合に、ある人は「気付かなかっただけだろうな」とやり過ごすのに対して、ネガティブな思考がクセになっている人は「無視された、嫌われてるんだ」と捉えてしまうというように、出来事一つひとつの受け止め方がネガティブになってしまいます。そして、そういった経験が積み重なってくると、不安症やうつ病になる可能性が出てきます。
ベックの認知理論では、うつ病患者の情報処理について、出来事を事実よりも否定的なものとして処理したり、情報の一部のみを処理したりするなどの偏りが生じているとされ、それを「体系的な推論の誤り」と呼びました。この処理によってネガティブに歪められた情報が自動思考となって体験されることになります。また、体系的な推論の誤りが生じるメカニズムには“スキーマ”が深く関わるとされています。スキーマとは、「…すべきだ」「いつも…である」というような信念や前提であり、幼少期から学習され維持されてきた安定的な認知構造のことです。このスキーマと出来事が合致することでスキーマが活性化され、体系的な推論の誤りが生じることになります(丹野ほか,2015)。
【推論の誤り】の例
全か無か思考
未来の否定的予測
肯定的な面の否定や軽視と、否定的な面の不合理な重視
レッテル貼り
全体を見ずに否定的で些細なことに極端に注目する
他人の態度を何でも自分のせいだと思い込む
…etc.
自動思考は無意識に出てくるものなのでそれを制御するのは難しいですが、認知理論の考え方からすると出来事の受け止め方や捉え方次第だとも言えます。いつもネガティブな思考に辛い思いをされている方は、幼少期から根付いてしまっているものを変えるのは簡単ではありませんが、一旦自分の思考のクセを俯瞰して、推論の誤りかもしれないと客観視するところから変えてみても良いのではないでしょうか。
<参考・引用文献>
丹野義彦・石垣琢磨・毛利伊吹・佐々木淳・杉山明子(2015)「臨床心理学」有斐閣
『カオス・ウォーキング』
2021年11月12日より全国公開
REVIEW/デート向き映画判定/キッズ&ティーン向き映画判定
思考がむき出しになっているこの世界では、自分の思考をコントロールすることに長けている人物が権力を保持しています。彼は人間的なお手本とはいえませんが、自分の思考に振り回されている間は何事にも不利になるということが客観視できます。
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『サトラレ』
DVDレンタル・発売中
思考を周囲の人に知られてしまう主人公の物語。主人公は他人に自分の思念を知られていることに気付いていないというところがミソ。
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TEXT by Myson(武内三穂・認定心理士)