動物や人間は、何かをきっかけに“学習”しますが、自分が実際に経験する以外に、他個体の行動を観察することでも学習します。これを“観察学習(モデリング)”と言います。今回は、モデリングが社会の中でどんな影響を及ぼすのか、考えてみたいと思います。
<参考・引用文献>
丹野義彦・石垣琢磨・毛利伊吹・佐々木淳・杉山明子(2015)「臨床心理学」有斐閣
無藤隆・森敏昭・遠藤由美・玉瀬耕治(2018)「心理学」有斐閣
実森正子・中島定彦(2000)「学習の心理ー行動のメカニズムを探るー」サイエンス社
下記は、上記で語られている内容から一部引用しまとめた上で、映画に関するところは本記事筆者の考察を掲載しています。
子どもは大人を見て育つという事実は侮れない
“社会的学習理論”の最も重要な理論として、“観察学習”を唱えたバンデューラは、ある大人(モデル)が人形に暴力をふるっている動画を子どもに見せ、その後同じ人形がいる部屋に移動した時に、子どもが同様に暴力をふるうかどうかを検討する実験を行いました。暴力をふるったモデルがほめられるところを見た子ども達(観察者)は人形に暴力をふるう行動が増え、モデルが叱られるところを見た子ども達は、モデルに対する評価がなかった群よりも暴力をふるう行動の生起が少なかったという結果が出ました。これは代理強化と呼ばれるもので、自分が実際に行動して褒められたわけではなくても、観察したモデルの行動とその結果から学習し、行動生起が増加(強化)したということを示しています。一方、モデルが叱られるのを見て観察者の行動生起が減る場合は、代理罰と言います。ただし、代理強化、代理罰がそのまま効力を保つわけではなく、例えば罰を受けているを見て、その行動は減っても、別の行動を取るようになったりと、他人の失敗を見てうまくやろうとします。
『レ・ミゼラブル』のクライマックスで起こる現象も、観察学習の一種ではないかと考えます。我が物顔で町を仕切る横暴な警察官の行動を、周囲の大人は黙って見ているだけですが、1人の少年を巻き込んだトラブルを警察官が起こしてしまったことで、状況が一変します。問題を起こした警察官達は自分達の落ち度だと自覚していますが、本人達や周囲の大人達はそれをお互いの利害関係を利用することでもみ消し、子どもを黙らせようとします。その結果、恐ろしい結果を招くのですが、子どもだからと侮ってはいけません。子どもだからこそ、純粋に学習してしまう怖さがあります。『レ・ミゼラブル』で描かれていることは、実際の出来事に基づいています。そう思うと、どれくらい怖いことが起こっているかがわかります。
観察学習は、恐怖反応を除去する療法や、対人関係能力を強化するソーシャル・スキル・トレーニングやアサーション・トレーニングにも取り入れられており、良いほうに活かすこともできます。
本作を観ていると、子ども達はしっかりと大人達のことを見ていると感じます。大人達は、子どもなんて何もわかっていないと思っているかも知れませんが、子ども達が何を見てどう育つのかは、親だけでなく大人達皆にかかっていると思います。大人はその責任の重さを自覚して、悪いお手本を知らぬ間に見せてしまうことがないように気を付けて、良いお手本を示すように心がけなくてはいけませんね。
『レ・ミゼラブル』
2020年2月28日より全国公開
公式サイト REVIEW/デート向き映画判定/キッズ&ティーン向き映画判定
ヴィクトル・ユゴーの小説「レ・ミゼラブル」の舞台でもあるパリ郊外のモンフェルメイユ。移民や低所得者が多く住み、危険な犯罪地域と化していたこの街では、犯罪を取り締まるはずの警察官さえも頼れない状況にあった…。
©SRAB FILMS LYLY FILMS RECTANGLE PRODUCTIONS
TEXT by Myson(武内三穂・認定心理士)