今回は『桜、ふたたびの加奈子』の原作者、新津きよみさんを取材。女性目線の作品が多い新津さんに、本作をもとに女性や母親、夫婦についての質問をぶつけてみました。
1957年長野県生まれ。大学卒業後、OLをしながら小説講座に通い、20代で書いた小説が横溝正史賞の候補に。1988年『両面テープのお嬢さん』で角川書店よりデビューし、以降ミステリー、サスペンス、ホラーの3つの要素を融合させた独特の作風で評価を得る。これまで手掛けた作品は『ふたたびの加奈子』『彼女の命日』『緩やかな反転』『ダブル・イニシャル』『同窓生』『ひとり』『指先の戦慄』『彼女たちの事情』『アルペジオ』『殺意が見える女』『意地悪な食卓』『逃げ切り 特別捜査官七倉愛子』『手紙を読む女』など。『イヴの原罪』『女友達』『正当防衛』『二重証言』『トライアングル』など映像化された作品も多い。夫は推理作家の折原一で、共著に『二重生活』がある。
2013年11月20日リリース(レンタル同時)
原作:新津きよみ
監督:栗村実
出演:広末涼子 稲垣吾郎
ポニーキャニオン
幼い一人娘を交通事故で亡くした容子(広末涼子)と信樹(稲垣吾郎)。容子は自分が目を離したすきに加奈子が車にはねられたことで自分を責め、加奈子の初七日の日に自殺を図るが、あわやのところで一命をとりとめる。その時から容子は姿の見えない加奈子に話しかけたり、まるで亡くなった娘が目の前に存在するかのように振る舞うようになり…。
©2013「桜、ふたたびの加奈子」製作委員会
ツイート
マイソン:
本作には超常的な要素もありますが、何かきっかけになったことはありますか?
新津さん:
私は特に霊感が強いということはないのですが、興味だけは持っていて、これを書くときには生まれ変わりについての文献をたくさん読みました。
マイソン:
別にご自身が不思議な体験をしたということではないんですね?
新津さん:
思い起こしてみればというのはあります。小さい頃から車に跳ねられて死ぬ夢を繰り返し見ていたので、もし自分に前世があったら、馬車とかに轢かれて事故死した人間だったのかなとうっすらと思います。不思議な体験というのも、ちょっと危ない目に遭いそうなときに、「危ない」とか「伏せろ」とか「走れ」とかそういう声が聞こえたような気がしてその声に従ったら命拾いしたというようなことが3回くらいありました。それこそ車に轢かれそうになったのを避けられたとか、OL時代に普通に歩いているときに急に「走らなきゃ」と思って走ったら外壁が落ちてきていたなんてこともありました。それはあとで「老朽化したビルが…」と記事になったくらいでした。そのときは1人だったので余計に不思議だなと思いました。守護霊がいるとしたら誰だかわからないですが私を守ってくれているのかなと思います。
マイソン:
じゃあ都市伝説はお好きですか?
マイソン:
最後まで観たらすごく救われたなと思ったのですが、前半がすごく怖かったです。あれは母特有の必死さからくる怖さなのか、女性がもともとそういう素質があるのか…。
新津さん:
やはり母親と子どもの繋がりというのが一番強いと思うんです。自分も子育てをしてみて痛感しました。子どもっていつもいつも見ていられるものではないですし、守りきれなくて不測の事態で失ってしまうかも知れないじゃないですか。例えば通学途中に暴走車に跳ねられてっていうこともあるし。だから子育てをしているときは常にこんなにかわいい愛しい存在が何かの拍子に奪われたらという危機感を覚えながら過ごしていた気がします。それによって今子育てしているという実感を味わおうとしていたのか、育児ってそれだけプレッシャーがある大きなことなんでしょうね。
マイソン:
プレッシャーと嬉しさとが同居しているという感じですか?
新津さん:
そうですね。そのとき感じた子育て中の「仕事しなくちゃいけない」とか「(原稿の締切に)遅れちゃう」という焦りと、かわいいけどこの子が自分の時間を奪っているっていう苛立ち、そういうものを小説に心理描写として盛り込みたいなと思いました。だからこの小説にはかなり細かく盛り込まれています。
マイソン:
この小説は子育て中に書かれたんですか?
新津さん:
子育てが一段落ついて、子どもが小学校に上がったときに数年前を振り返って書きました。
マイソン:
旦那さんとのシーンでの日常のやり取りもリアルに感じました。男性からすると「容子(広末涼子)の態度が冷たい」「信樹(稲垣吾郎)がかわいそう」と思えるかも知れませんが、女性としては容子がこうなっても仕方がないとも感じました。旦那と子どもと両方を愛しているけどそれぞれ違うという描写はどう思われて書かれたのでしょうか?
新津さん:
私の場合は夫が同業者で、会社に行ったまま帰ってこないとか、残業があって手伝ってくれないということはなく、子育てはほとんど一緒にやれて恵まれていたと思います。“自分で産んで母親になる”のと“「産まれたよ」と自分の子どもを見せられて父親になる”のとではどこかに違いがあるのかも知れないという気はしていました。同じように我が子がかわいいと言っても、自分のなかから肉の塊として出た子は母親にとってまぎれもなく自分の子ですよね。それを失ったときの悲しみの深さって違いがあるんだろうかってことを考えました。夫には悪いですが(笑)。その疑問は未だにあって、子どもを失ったときの立ち直りの速度に父親と母親で違いがあるのか突き詰めていくと怖くなりませんか?
マイソン:
そうですね。理性で考えると、また子どもを作って前向きに進みたいっていう夫の気持ちも間違えではないなと思ったんですが、でも“この子はこの子”っていうのがきっとあるんだろうなって思いました。
新津さん:
失ったその子に変えられるものはないんですよね。しかも容子は自分を責めていて、原作ではあのとき自分が迎えに行かなかったからとか、いつまでも死にこだわってしまっています。あと原作では生まれ変わりを信じている容子には魂が丸く見えているんですが、映画では全然影らしきものを描かずに“エアー”で加奈子を撫でたりしているのが怖かったですね。
マイソン:
私はいつも映画を見るときに情報を入れないで観ようとするので、このタイトルにある「桜」だけでほろっとする良い話なんだろうなと思っていたら、広末さんが鬼気迫る演技でびっくりしました。白い影とか描かれていなかったので、本当にお母さんが精神的にすごく辛くて常軌を逸したのかなと思いました。でも後半になって見え方が変わってきました。
新津さん:
そうなんですよ。誰かが「入口と出口とが全く違う映画です」と言っていたんですが、言い得て妙だなと思いました。本当にそうなんです。だから皆さん最後まで観てあっという驚きと感動とともに観終えて欲しいんですよね。観ないともったいないと思います。
マイソン:
最後まで観るといろんな伏線がありましたね。
新津さん:
監督さんが原作以上にミステリー的な仕掛けをしてくださって、私はミステリー好きなのでそれはすごく嬉しかったですね。
マイソン:
じゃあ映画と原作とでちょっと伏線が違うんですか?
マイソン:
女性のおもしろさとか怖さって普段どういうところを見て感じますか?
新津さん:
人間って一生懸命心のバランスをとって生きていると思うんです。例えば、身近な友だちを見て「綺麗で羨ましい」と思ったときに、プラスの方向に気持ちが向いている間は「私も彼女を見習ってエステしよう」「美容院に行こう」「お肌のお手入れをしよう」と思うんですよ。でもマイナスに向いてしまうと、「彼女が綺麗な分、自分が損している」みたいに考えて憎くなってくるんですよ。その「羨ましいけど憎い」というマイナス方向になったときの怖さを肥大化させて書くのが私は好きなのだと思います。だからモデルがいるわけではないですがこんな人がいたら怖いなって、日常のなかで非日常なこと、事件とか事故とか殺人とかに直面したときの人間の心の揺れとか動きを書きたいと思っています。
マイソン:
では、最後に女性目線でオススメの見どころを教えてください。
2013.9.26 取材&TEXT by Myson