映画のお仕事は、監督・女優以外にも数え切れないほどの種類があります。プロデューサー、照明、音響、衣装、メイク、宣伝、劇場営業…。映画を作る現場から、映画をユーザーに届けるところまで、さまざまな現場で働く女性にお会いする機会があれば、お話を聞いて、現場の状況などを掲載できればと思います。
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2014年に開講する東京バイリンガルサービスが主催した「戸田奈津子さんと語るハリウッドビジネスの英会話」を取材してきました。東京バイリンガルサービスでCEOを務める映画字幕翻訳家、菊地浩司氏も登壇してのトークイベントということで、字幕翻訳家の草分け的存在のお二人が揃った貴重な機会となりました。ここでしか聞けない、映画界、字幕翻訳にまつわるお話を盛りだくさんご紹介します。
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最初は『セブン・イヤーズ・イン・チベット』の頃、彼は20代だったと思いますが、脚光を浴び始めたばかりでどう対処して良いか全然わかってなくて素人っぽかった。記者会見とかインタビューで答える術を知らなくて、いつも監督や共演者と一緒で、自分1人ではできなかったんです。本当にシャイだし、どうしていいかわからなくて、途中で自分の発言がまとまらなくなっちゃうわけです。そんなときに私の方を見て救いを求めるような目をしたから、まとめてあげたりしたのを、今でも「あのときは世話になった」とお礼を言われます。そういう方だったのに、アンジー(アンジェリーナ・ジョリー)と結婚なさってからはね〜、もう女性の影響力ってすごいわよね(笑)。アンジーはすごく頭が良いから、ブラッドを変えちゃったの。アンジーとつきあい始めてから本当に自信満々。それから映画も自分でプロデュースし、同じ人とは思えないくらい、立派なもんですよ。
1945年、私が小学校低学年だったときに終戦を迎えました。戦争中は洋画は敵国の映画だから観られませんよね。でも終戦して2、3年経ったときにマッカーサーがアメリカの映画を入れてやると言って日本に洋画が入ってきて、そこで初めて洋画というものを観ました。というか、動く画を観たこと自体が初めてでしたが、食べ物もないし、文化的にも飢えている状態で、スクリーンに別世界が映っていて、本当にカルチャーショックを受けました。テレビで育った皆さんたちにはわからないようなショックです。そこでいっぺんに映画好きになったんです。テレビなんて無かったから日本人全員が映画ファン、映画館は満員で扉なんて閉まらないですから(笑)。そして中学に入って、初めてABCを見たんです。そのときになぜ英語に興味を持ったかというと、その時点で映画が好きだったからなんです。好きなものに関するものには皆興味を持つわけです。私は映画のおかげで英語に興味を持ちました。英語を勉強したのはボーナスです。でも当時、英語の先生は英語をしゃべれなかった。戦争中に英語はしゃべっちゃいけなかったから、会話なんてなかったんです。日本人っておもしろいんですが、8月15日に終戦して、次の日には「これからは英語だ」って言って、それが70年前でしょ。今でもそれをやってるわけ、何なのこれって?どうして日本人って英語が下手なんでしょう?だって70年、英語、英語って言ってるのよ(笑)。やっぱり島国ですから、外国を学ぶのが下手な国民だと思います。大陸の人たちは皆上手ですよ。私も会話、ヒアリングの勉強は0で、中学、高校、大学まで教室で英語は勉強してたけど、耳と口は死んでました。しゃべる機会がなかったから。
翻訳家は日本語が上手だから、この仕事ができるんです。翻訳家はしゃべる必要はないですから。私が知っている有名な本の翻訳家の方は外国に行くとき通訳を必要とします(笑)。難しい言葉はたくさん知っていてもしゃべられないんです。私もそうなるところでした。ところが、大学を出るときもとにかく映画が好きで、私には映画しかなかったから、特に字幕に興味を持ちました。ドラマが好きで、台詞ってドラマでしょ。映画の仕事って、評論家とか、映画会社に勤めるとか道はいろいろあるんですけど、私は一切そっちに興味がなくて、台詞を作ることに興味を持ったんです。でもとっても大変な職場だってことはつゆ知らず。今も変わらないけど、プロの字幕翻訳家って20人くらい名前が挙がって、さらにそれで食べてる人となると10人いるかどうかです。私が志した頃も同じで当時は全部男性、10人足らずの世界。そんなところに入れるわけがなく、ガッチリ縄張りになっていました。なかなかチャンスが来なくて、30歳を過ぎた頃にやっとある映画会社でパートタイムで働くことになって、タイプライターを打てたので、ビジネスレターを書く仕事をやっていました。字幕の仕事なんてもらえませんよ。そこへある日、俳優が来日することになって、その時代ですから帰国子女もいるわけもなく、誰も通訳ができる人がいないわけです。で、どうするかとなったときに、水野晴郎っていう宣伝部長だったんだけど(笑)、「あなたタイプ打てるんだね。じゃあしゃべれるでしょ、通訳して」って言われたんです。私はそれまで英語をしゃべれたことが、30歳になっても一度もなかったんです。もちろん外国なんて行ったこともなかった、今と時代が違いますから。文字でしか勉強してなかったし、当時はそれが当たり前。それで「やだ、やだ」って逃げ回ったんですけど、記者会見に出されて、私の最初の英会話は記者会見なんです。しゃべれるわけがないからメタメタで、私はすごくがっかりして、こんな下手な通訳をしてもうクビだと思ってたんですが、クビにならなかったんです。1年くらい経ってまた誰かが来るというので通訳をやってと言われて、あんなに下手だったのに「あれで良いから」みたいなことを言われたんです。結局それは英語力じゃなかったんです。映画のことを知っていたってことが助けになったんです。通訳とか翻訳はただ外国語ができるだけじゃダメなんです。日本語が大事で、知識がないとダメです。私は英語は本当に下手だったけど、映画のことは知っていた。誰より映画ファンで、監督の名前から作品の経歴まで全部知っていたんです。外国語だけがペラペラできても、それでは決してプロにはなれません。ちゃんと知識があって、それに対する興味があって、日本語ができないとダメなんです。
ネットが普及して、「君の瞳に乾杯!」みたいな意訳をするとすぐ“さされる”んですよ。あら探しっていうかね、でもそれって違うんです。映画はドラマを楽しむためのもので、英語を勉強するためのものではないんです。直訳かどうかなんてどうでも良いんです。映画がドラマとして、伝えたいことがちゃんと伝わっているかが重要なんですから。つまらない日本語が並んでてもつまらない。でも、そういう風潮があるから映画会社も臆病になって、あまり意訳し過ぎるとまずいって言われるので、とてもやりにくい状況にはなっています。
今は吹き替えがどんどん増えて、字幕と半々くらいで、もっと吹き替えが増えますよね。だけど、字幕はなくなりませんよ。字幕は作るのが安いんです。翻訳者の翻訳料は本当に安いんですから(笑)。私はこの仕事をしたいからタダでも良いの。でもまあくださるものは頂きますけど(笑)、でも皆さんが考えるような1本何百万みたいなのはとんでもないですよ。だけど吹き替えは声優がいっぱい必要になるからお金がかかるわけですよ。メジャーの大作はお金をかけられるけど、単館ものは予算が少ないから、吹き替え版なんか作れないです。そういう映画は必ず残るので、字幕版がなくなるとは言いません。ただ大作は全部吹き替え版に変わっていっちゃうかも知れない。
字幕を読んでいるのは日本人だけって、皆さん知っていますか?外国は全部吹き替えなんですよ。字幕版なんて無いんですよ。いつから字幕が必要になったかというと、無声映画からトーキーになったとき、昭和初期です。さすがに私はまだ生まれていないので淀川長治さんに聞いた話なんですけど、当時、ハリウッドの人たちは映画のことは全部知ってるってとんでもない思い違いをしてたから、「俺たちが作ってやる」って言って、ハリウッドで吹き替え版を作ったんです。カリフォルニアには日系の人がいっぱいいるじゃないですか。でも、あの頃カリフォルニアに移住した日本人って広島の人が大半だったの。広島弁だけど、ハリウッドの人はわからないから、それで声をつけて、「これでどうだ!」って送りつけてきたんだけど、日本で試写したらラブシーンが広島弁で、大笑いですよ。「これは使えません」って言うと、ハリウッドは困っちゃって、じゃあ字幕にしようと、それで字幕版ができたんです。最初の字幕版ができたのは『モロッコ』という映画で、ゲイリー・クーパーが出演している映画です。字幕版は日本人にぴったり合ったんです。日本人は識字率が高かったから、こんなに誇るべきことは無いんですよ!漢字って一字見ただけで意味がわかるでしょ。あれが素晴らしい。そこにひらがなが入って、うまくバランスがとれて、日本語って字幕向きの言語です。日本だけがお客様が字幕の方が良いって言うんです。他の国は最初から吹き替え版です。日本人は真面目だから俳優の声を聞きたいっていうこだわりもあるわけです。世界中から見て、日本はとてもユニークなんです。でも今の日本人の日本語力はあやしくなってきています。私は英語の勉強より先に日本語の勉強をしろって言いたいです。日本人が日本語をできなくてどうするの。
映画を楽しませるために一番良い台詞は何かというのが基準です。うまく訳そうというよりは、お客様が最後まで観て感動したって思ってくれるのが重要なことで、字幕を読んでいると意識させるなんてとんでもないことです。字幕に意識がいくというのは字幕が下手なとき。うまい字幕だったら最後まで全然字を読んだという意識はないですから。トム・クルーズが自分のわかる言葉でしゃべってたって思うような錯覚があるはずです。それが一番素晴らしい字幕だと思います。
翻訳にかける時間は、急ぐときは1本1週間しかありません。そんなことはざらです。だから何回も観てるとそれだけ時間がかかるから、本編を観るのは1回だけ。映画を何回も観るなんて贅沢はできないんです。もちろん台本がありますから、我々は役者じゃないけど、役者のお芝居を想像しながら、同じことをやってるんです。ラブシーンだと、女がしゃべるときは女優の立場、男がしゃべるときは男の立場で、行き来しながらその役の感情を想像するんです。おもしろいでしょ!私はそこが好きです。もちろん、泣いちゃうとき、笑っちゃうとき、怒っちゃうときもいっぱいありますよ。一人でやってたら、「この人何してるんだろう」って思われちゃうから、そういう姿は見せられませんけど、今でも覚えてるけど『E.T.』の最後なんて泣いちゃいましたよ。
通訳をやらされたことがきっかけで、いろんな俳優さんと出会うことになり、そのなかの1人がフランシス・コッポラ監督で、『地獄の黙示録』を彼が作っていて、そのお手伝いをしていました。私はそのとき、もう40歳になっていました。少しは小さい作品をやらせてもらっていたけど、それまで目が出なくて、字幕で食べられるほどにはなっていなくて、40歳になって初めて日本を出て、サンフランシスコのコッポラの家に行ったり、フィリピンのロケに行ったりして、初めて外国に出ていろんな体験をさせてもらいました。すごく話題になっていた映画でもちろん私になんか、字幕の依頼がくるべき映画じゃなかったんですが、コッポラが一言「彼女はずっと僕の話を聞いてくれてるから」って一押ししてくれたというのを後から聞きました。そしてあの映画の翻訳をやらせてもらって、やっとブレイクしたんです。あの映画は1980年の映画で、あの頃からCGが出始めました。21世紀になったら全てCGで、今だったらあの映画はあっという間に作れるんです。でもあの映画は全て実写。ジャングルが燃え上がるところも、ヘリコプターが飛ぶシーンも全部ホンモノで撮ってますから、人間の手で作った最後のスペクタクルなんです。緊張感は今のCGで作った映画と大違いです。(劇場の)大画面で観ないと意味がないけど、観ないよりはましだからDVDでも観てください(笑)。もし観るなら、完全版を観てください。二つあって、オリジナル版は最後が混乱していて理解しにくい部分があるんですが、何年後かにコッポラが作った、尺が長い方、完全版の方がテーマがはっきりしていておもしろいので観てください。あの映像は観る価値があります。
1960年代後半、70年代に、よく新宿で遊んでて、アメリカ兵もよく遊びに来てたんです。彼らとよく遊んでて、僕は英語はわからなかったけど、“遊ぶ”という共通のテーマがあるから何の心配もなかった(笑)。あまり品の良い言葉じゃないですが、ナンパしたいよなって話になって、当時我々の言葉では“ガールハント”って言ってたんです。それで彼らに「ガールハントに行こうよ」って言ったら、彼らがきょとんとして、「ハントっていうのは鉄砲で撃ち殺すことだよ。そりゃやばいでしょ」って言ったんです。で僕は「そういう意味で言ったんじゃないよ」って言ったら、「OK」となったんですが。英語だと“pick up”って言うらしいです。そういう風なことの積み重ねで英語を覚えました。 その後は英語にだんだん慣れてきたので、いくつかいろいろな仕事をしたんですけども、ひょっとしたら教えられるかなと思って、英語教室を作ったんです。生徒は女子大生が良いなと思って、それこそピックアップ(笑)して教え始めたら、僕より向こうの方がはるかに英語ができたんです。ということで、慌ててネイティブの先生をジャパンタイムスで集めて、彼らに先生をやってもらう環境を作ったんです。それから3年間くらい朝昼晩、彼らと暮らしてたので英語を覚えたんです。
日本人はしゃべるのが苦手。特に英語になっちゃうと、聞くのは皆大好きだけど、しゃべろうとすると詰まっちゃうでしょ。だから僕は、聞くのはどうでもいいからしゃべっちゃえっていう考えで、しゃべれる英語を努力しないであっという間に身につける方法を考えたんです。それがK-methodです。Kは菊地のKです。僕の長い人生のなかで努力はしたことがない(笑)。どんどんしゃべれば、どんどんしゃべられるようになる、だからしゃべっちゃいましょうということです。
某アメリカメジャーの映画会社の偉い人がこんなことを言っていました。「ビジネスっていうのはお金でしょ、ビジネスっていうのは交渉でしょ、ビジネスっていうのは相手を納得させること。納得させて相手が“I agree.(わかった)”と言っただけでは十分ではありません。相手が“I accept.”って言った瞬間に初めてビジネスの会話が成り立つんです」と。
英語へのアプローチは全く異なっていたお二人でしたが、今のように英語の勉強方法や英語に触れる機会が豊富になかった時代を過ごしながら今に至るお二人のお話は、希望を与えてくれますね。“生きた英語”というのは、学校で学んできただけの英語ではなく、使わないと意味がないということを改めて感じました。また、映画好きとしては戸田さんのお話はかなり心に響き、好きなことを貫く大切さを実感し、勇気を頂きました。菊地さんが代表を務められ、戸田さんもチーフアドバイザーを務められている東京バイリンガルサービス。興味を持った方は、憶せず門をたたいてみてください!
2014年10月2日取材
東京バイリンガルサービス/ACクリエイト株式会社
レッスンのお申込は、2014年11月4日より開始
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