人間には理性と良心が備わっているはずですが、それはどんな状況でも保てるものなのでしょうか?また、良心とは単純に定義できるものなのでしょうか?今回は、極限状態で闘う主人公の物語(2作とも実話をベースにしています)を題材に考えてみました。
ツイートブリッジ・オブ・スパイ
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<良心を捨てない選択が、命を救う> |
アメリカとソ連、両国がそれぞれに捉えたスパイの交換は、国同士の正式な交渉にすると、対外的、対面的な問題で複雑になってしまうため、表向き民間の問題としてうまく収めるようにと抜擢されたのが、弁護士のジェームズ・ドノバン。彼は実在の人物で、もともとは保険の分野で腕を振るっていた弁護士でした。そんな彼が突然、国家間の裏の交渉をまとめる大役を担うのですが、国が言ったとおりに動く操り人形に甘んじなかったのが素晴らしい点。面倒を起こしたくないお互いの国は無難なところで交渉を終えようと彼を促しますが、自身の命すら危うい状況でも囚われた両国の人間を思い行動する彼の良心は揺らぎません。この時、彼の良心のおかげで、彼の命は危険にさらされたかも知れませんが、逆に良心を捨て人の命を救えなければ、その後本当の意味で生きている心地がしなくなっていたかも知れません。本作を観て、良心とは、“人間として生きていくため”、“人間同士、生かすため”に必要なものだと改めて実感しました。 |
白鯨との闘い
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<何が良心的な行動と言えるのか> |
良心が無ければ人間ではないのでしょうか?そうとは言い切れません。ときに、良心があるかないかの問題で片付けられない状況もあるでしょう。本作も実話ですが、巨大な白鯨に襲われ大破した捕鯨船の乗組員たちは、食べるモノ、身を守るモノも限られている状態で、救出がくるかわからない日々を過ごさなくてはなりませんでした。餓死する者や、怪我を負い亡くなる者、徐々に仲間も減っていきます。それでも望みを捨てずに生きようとすると、普段は絶対に選択しない行動を取らざるを得ません。詳細は映画を観て頂くとして、彼らがどんな選択をしたとしても、ここでは彼らを責めることはできません。そして、この状況下では、良心の定義が変わってきます。ここでは、彼らの選択も生きるための良心だっと思います。 |
良心の定義は難しいですね。正義の定義と似ているのかも知れませんが、立場によって良心の解釈が変わるのだと思います。それでも、良心を持つ人間であることは大事なこと。たとえ自分なりの良心ということになっても、良心を持って生きるよう心がけたいと思います。
2016.1.12 TEXT by Myson