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『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』R-15 2015年2月13日より全国公開 ©2014 Universal Studios |
『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』 |
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インタビュー取材で、若くしてビジネスで成功し、大富豪になったクリスチャン・グレイに会ったアナは、彼に威圧的な印象を持ちつつ、惹かれていきます。すると、クリスチャンはアナのアルバイト先に突然訪れたり、関心を示し、最初は「彼と恋愛なんて」と思っていたアナでしたが、どんどん期待を膨らませていきます。でも、恋愛へと発展すると思っていた矢先、彼は恋愛はしないとアナを突っぱね…。 |
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クリスチャン・グレイは恋愛をしないと公言して、アナにある契約を迫ります。彼の性的嗜好というのは、SMプレイなのですが、お互いの合意のもとに行うことであると相手に認識させ、大企業の社長という責任ある立場の自分の身を守るために、契約を交わすことを重視しています。彼は圧倒的な支配者としてアナを従属者としたがっていて、一方のアナは当然ながら、彼の要求を理解できません。「俺のことが好きならSM好きを受け入れてくれ」という要求と、「愛している人にそんなことをするなんて!」という反論。クリスチャンが恋愛はしないというスタンスを取るのは正論であり、そこに愛がないなら契約成立もまだ簡単かも知れません。また、SM具合がフェイク的なものならば、アナも多少試してみる余地があるのかも知れませんが、クリスチャンのSM徹底度はホンモノなので普通ならドン引きして終わるはずです(笑)。そこでドン引きして終わらないのも愛があるからで、クリスチャンがアナに契約を無理やりさせずに待っているのも愛があるからではと思われますが、愛があるから交渉の余地があり、愛があるから契約できないという矛盾が生じます。これは映画なので実生活の恋愛に置き換えるには極端過ぎますが、もし私たちがこういう恋愛を体験することになったら、「我慢して相手の性的嗜好につきあう」「割り切って、性的な欲求は他で処理してもらう」のいずれかで折り合いをつけるしかなさそうですが、なかなか線引きが難しいですね。何をもって愛とするかが根本の問題ということになりますが、性癖って治らないのではと考えると、同じ性癖同士で相手を見つけない限りは、愛と性的嗜好を両立できないのではと考えます。 |
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TEXT by Myson