娘の将来を案ずるがゆえに、愛情と倫理観の間で揺れ動く父親の5日間を描く、『エリザのために』。本作のクリスティアン・ムンジウ監督にインタビューをさせていただきました。これまで、母国ルーマニアの抱える問題と人々の混迷を描き続け、カンヌ国際映画祭では3度の栄冠に輝いたムンジウ監督。名実ともにヨーロッパを代表する映画人の一人となったムンジウ監督に、本作に込めた想いを伺いました。
PROFILE
1968年ルーマニア生まれ。2002年、デビュー作の『Occident』がカンヌ国際映画祭の監督週間でプレミア上映され、ルーマニア国内でもヒット。監督と脚本を務めた2作目の『4ヶ月、3週と2日』では、第60回カンヌ国際映画祭でルーマニア映画史上初のパルムドールを受賞。さらに、さまざまな国際映画批評家協会賞を受賞し、ヨーロッパ映画賞では最優秀作品賞と最優秀監督賞の栄冠に輝く。2012年の第65回カンヌ国際映画祭コンペティション部門で上映された『汚れなき祈り』が女優賞と脚本賞をW受賞し、2013年カンヌ国際映画祭では審査員を務めた。5作目となる本作では、2016年の第69回カンヌ国際映画祭で監督賞の栄誉を手にした。
ミン:
本作を観て驚いたのは、エリザが夜道などではなく朝の通学路で暴漢に襲われたことです。さらに、近くにいた彼女のボーイフレンドを含め、彼女の異変に気付いた人すらいませんでした。ルーマニアでは、実際にここまで他人に無関心な傾向があるのでしょうか。
クリスティアン・ムンジウ監督:
他人への関心や同情が薄れてきて、多くの人が自己中心的になってきているのは事実です。実は、この作品を撮るきっかけとなった事件があって、ルーマニアのある女性ジャーナリストが、性犯罪の被害に遭ったんです。彼女はブカレスト市内を1キロくらい引きずり回されて、暴行される場所まで連れていかれたのですが、周りの誰もそのことに気付いて止めることがなかったんです。
ミン:
にわかに信じがたい事件ですね。日本でも他者に無関心な風潮は強くなっているように感じますが、まだ、そこまで危機的ではないと思います。劇中では、ロメオが大きな希望を抱いていた民主化運動が頓挫し、不正がはびこるようになった自国を嘆いていますが、こうした人々の利己的な傾向は、やはりルーマニア革命以降、顕著に現れてきたものでしょうか。
クリスティアン・ムンジウ監督:
そうですね。やはり革命以降のここ25年くらいでしょうか。世の中に対する人々の不満が大きくなるにつれ、徐々にこうした社会になってきたと思います。最たる原因は貧困ですが、もちろん、それだけではありません。重要なのは、どういう教育を受け、どういう社会に育ってきたかということだと思うんです。
ミン:
日本でも格差社会が進むにつれ、先の見えない暮らしの中で、自分を守ることを優先させてしまうという傾向は広がりつつあります。
クリスティアン・ムンジウ監督:
他者への寛容性が無くなり、自分さえ良ければという発想ですよね。 “個”が全体を上回っているわけです。自分にとって都合の良い解決法ではなく、多くの人にとって解決策となる方法を共同で模索しなければ、こうした傾向はますます深まっていくばかりです。こうした問題を解決し、集団的な責任を子ども達に伝えていくために必要なのは、やはり教育です。価値観というのは、教育によって継承されていくものだと思います。
ミン:
価値観を継承していく側のモラルも問われていきますよね。本作を鑑賞している間も、ずっと自分自身の倫理観を問われているような気持ちになりました。この作品を観た多くの人が、自分がロメオなら、またはエリザの立場ならどうするかということに思いを巡らせると思いますし、ロメオに共感する人も多いと思いますが、劇中では2人の問題以外にも、観る人のモラルを試すようなさまざまな問題が出てきます。例えば、不倫をしている父親の姿だったり、遊具を使う順番を守らない子どもや、その子どもをかばう親の言い分だったり。でも、ムンジウ監督は、これらを明らかな罪として扱うことも、糾弾もしていません。観る人自身に答えを委ねるようなアプローチには、どのような意図がありますか?
クリスティアン・ムンジウ監督:
私自身はこの映画を作ることで、すでに自分なりの決断や問題提起をしていますが、私がフィルムメーカーとしてすべきことは、情報を提供し、あとは観る方の自由意志に委ねることだと思っています。私が大事にしているのは、現実を描くうえで一方的な見方や物事を単純化しないということです。世の中は複雑で曖昧なことだらけで、簡単に白黒を付けられるものではありませんよね。例えば、ロメオは不倫をしているけれど、彼にだって言い訳はある。エリザのことに関しても、娘を助けたいという思いが根底にあっても、そのためにとった手段は正しいとは言えない。何がどう間違っているかを決めるのは、観客の皆さんです。
ミン:
そうですね。一方的な見方で、一概に何が悪いとは言えないことばかりです。ただ、私が思うのは、道徳的に生きていくのは難しいけれど、国や世界を変えていくことは、もしかすると家族という一番身近なコミュニティーを変えていくことなのかも知れないということです。先ほど、ムンジウ監督は教育が大切とおっしゃいましたが、もちろんそこには親から子へ道徳を示すことも含まれていますよね?なので、敢えてハッキリと伺います。監督がロメオの立場だったら、どうされますか?
クリスティアン・ムンジウ監督:
ほんとうに、答え辛いことを聞きますね(笑)。私も7歳と12歳の息子がいる父親ですので、自分だったらどうするか、子どもに何と言うか、この作品を通して自身に問いを投げかけているんです。そして、こうしたインタビューを受ける度に、私自身も言っていることと行動が伴っていないなと思い知るんですよね。正しいことを息子達に教えるべきだとわかっていても、実際に世の中ではいろいろなことが起きる。些細なことで日々、葛藤しています。
ミン:
意地悪な質問をして、すみませんでした(笑)。
クリスティアン・ムンジウ監督:
いえいえ。でも、やはり一番大切なのは態度で示すことだと思うんです。いくら口では良いことを言っていても、自分の行動がひるがえってしまったら、もうそこで教育は意味を成さなくなります。良いことはいくらでも言えますけど、実際の世の中でどれくらい行動し対処できるかを子ども達にきちんと教えないと、結局「口だけの、おとぎ話のことだな」となってしまう。自分の中に、そういう矛盾や葛藤は常にありますね。
ミン:
非常に共感します。本日はお気持ちを率直に語っていただけて、嬉しかったです。ありがとうございました!
2017年1月16日取材&TEXT by min
2017年1月28日より全国順次公開
監督・脚本・製作:クリスティアン・ムンジウ
出演:アドリアン・ティティエニ/マリア・ドラグシ/ヴラド・イヴァノフ
配給:ファインフィルムズ
医師のロメオは、妻とは家庭内別居状態で愛人もいるが、娘のエリザには全身全霊の愛情を注いでいる。成績優秀なエリザはイギリス留学を控えていたが、最終試験を目前にして登校途中に暴漢に襲われてしまう。動揺するエリザの様子から、試験への影響を心配したロメオは、不正とわかりながらも警察署長、副市長、試験官とツテとコネを駆使し、娘を合格させようと奔走する。しかし、それに気付いた検察官が彼の元へやってきて…。
©Mobra Films - Why Not Productions - Les Films du Fleuve – France 3 Cinéma 2016
©Kazuko Wakayama