ヒトラー体制下のベルリンで、息子の戦死の報に接したオットー・クヴァンゲルと妻アンナ。やがて夫婦は、ささやかな抵抗運動として、反ナチスのメッセージを記したポストカードを公共の建物に置き始める…。実際に起きた“ハンペル事件”とゲシュタポの記録文書をもとに、ドイツ人作家のハンス・ファラダが書き上げた小説「ベルリンに一人死す」(みすず書房刊)。1947年の初版発行から60年以上を経て、2009年には初めて英訳されたことで世界的なベストセラーとなった本作を、オリジナル脚本で映画化したヴァンサン・ペレーズ監督にインタビューしました。90年代にはフェロモン溢れる美男俳優として一世を風靡し、現在は監督と俳優のほか、写真家や作家としても表現の場を広げるペレーズ監督。自身のルーツに迫った製作の裏側や、キャスティング秘話などを伺いました。
PROFILE
1964年、スイス生まれ。パリの国立高等演劇学校で演技を学び、舞台を経て1986年にジャン・ピエール・リモザン監督『夜の天使』で映画デビュー。ジェラール・ドパルデューと共演した『シラノ・ド・ベルジュラック』(1990)で注目を浴び、『インドシナ』(1992)ではカトリーヌ・ドヌーヴ、『王妃マルゴ』(1994)ではイザベル・アジャーニの相手役に抜擢され、セクシーな美男俳優として世界中の女性ファンを虜にした。その後も『愛のめぐりあい』(1995)、『THE CROW/ザ・クロウ』(1996)、『輝きの海』(1997)、『愛する者よ、列車に乗れ』(1998)、『見出された時−「失われた時を求めて」より−』(1999)、『花咲ける騎士道』(2003)などの映画作品に出演しながら、監督として短編作品を製作。2002年に『天使の肌』で長編監督デビューし、監督第2作は東野圭吾の小説「秘密」を映画化した『秘密 THE SECRET』(2007/日本未公開)を発表。本作は長編3作目となる。現在は俳優、監督業のほか、写真家や作家としても活躍中。
ミン:
原作小説を読まれてから映画化を決意するまでの道程をお聞かせください。
ヴァンサン・ペレーズ監督:
今から10年ほど前のある日、原作小説のレビュー記事がふと目に留まり、急に「どうしても読まなくては!」と思ったんです。実際に小説を読み進めると、今度はまるで自分が映画を観ているように映像が浮かんできました。そのとき自分に何が起きたのかを説明するのは難しいですが、映画化すべきだという強い衝動を感じたのです。実は、そのとき脳裏に浮かんだ映像が、ほぼそのまま映画になっているんですよ。
ミン:
まるで何かに導かれたかのようですね。
ヴァンサン・ペレーズ監督:
僕は、父がスペイン人で母がドイツ人なのですが、原作小説を読んだあと、第二次世界大戦時の先祖達の様子を知りたくなり、家族のルーツを調べました。すると、クヴァンゲル夫妻と僕の家族には多くの共通点があることがわかったのです。僕の父方の祖父は25歳の時にスペインのファジズム政党であるファランヘ党員に射殺され、母方の叔父はクヴァンゲル家の息子のように17歳にしてロシア戦線で命を落としました。さらに、僕の親族には一人としてナチス党員がいなかったのです。それは当時の社会情勢のなかでレジスタンスだったことを意味します。これらすべての事実が、映画化に向けて僕の背中を押しているように感じました。後になってブレンダン・グリーソンに「君の先祖達が、この作品を通して君に語りかけているんだね」と言われましたが、本当にそうかも知れません。
ミン:
小説から脚本を書き起こす作業で、工夫された部分や苦労されたことは何でしょうか。また、映画化にあたり、ペレーズ監督が特に強調したいと思った部分はどこでしょうか。
ヴァンサン・ペレーズ監督:
原作小説はすごくボリュームがあって、心苦しいけど映画化するにあたってすべての登場人物を描くことはできないと思いました。そこで、クヴァンゲル夫妻の生き方と彼らの周囲に暮らす人々の生活、さらに、エッシャリヒ警部の物語に集中して描こうと決めました。そのなかで、当時の人々がとてつもない恐怖心を抱えて日々を生きていたこと、恐怖のなかで生きる苦しみそのものを伝えなくてはと思いました。もう一つは、クヴァンゲル夫妻の筆致がとても素晴らしく、できるだけリアルに映像化しようと思いました。劇中に登場するポストカードの文字は、小説のモデルとなったオットー・ハンペルの筆跡を真似て、ブレンダン自身に書いてもらったんです。
ミン:
そうだったのですね。大変な作業だったと思いますが、ブレンダンさんは見事に役作りに反映されたのでしょうね。ブレンダンさん、エマ・トンプソンさんのキャスティングについてお聞かせいただけますか。
ヴァンサン・ペレーズ監督:
登場人物は原作のイメージそのままに映画化したいと思っていました。そのなかでも、アンナ役はエマ・トンプソン以外に思い浮かびませんでした。ほかの俳優は、かなりスクリーンテストを重ねて選びましたが、実を言うと、オットー役にはブレンダンじゃなくて、別の俳優を起用するはずだったんです。というのも、原作のオットーは痩せ細った男だったので、そのイメージに引っ張られていたんですね。ところが、最初にオファーした俳優と撮影の都合が付かず、代役を探していたときに、ブレンダンがこの脚本をすごく気に入っていると聞いて、ひとまず会うことになったんです。実際に会って彼と話すと、あとはもう恋に落ちるような感じ(笑)。絶対に彼に演じて欲しいと思いました。
ミン:
お二人の重厚な演技には、強く胸を打たれました。さらに、エッシャリヒ警部役のダニエル・ブリュールさんも素晴らしかったです。内面に矛盾や葛藤を抱え苦悩する姿には、私自身、とても共感を覚えました。非常に複雑で繊細な表現が求められる役ですが、ダニエルさんと役作りについて話し合われたことはありますか。
ヴァンサン・ペレーズ監督:
僕がもっとも感情移入できるのもエッシャリヒだし、観客に一番近い感覚をもっているのも彼だと思います。自分が好きでやっていたはずの仕事なのに、ナチスが自分の上司になり、上からの圧力で自分の信念が壊されてしまう。まるで彼らの人形のように、人を殺せという命令にも従うけど、内面では大きな罪悪感を抱えて悩み抜いています。ダニエルとはエッシャリヒ警部の葛藤をどう表現するか、何度も細かく話し合いました。この作品は全編を通して、基本的にセリフが少ないんです。そのなかでは、彼が一番セリフの多い役だけど、言葉以外の表現で感情のディテールを伝えることには注力しました。
ミン:
エマさん、ブレンダンさんと同様に、ダニエルさんもペレーズ監督の演出に見事に応えられていましたね。
ヴァンサン・ペレーズ監督:
はい。彼はプロフェッショナルだし、役者としてのテクニックにも驚かされました。それに、ダニエルとの仕事はとても楽しくて。彼は僕と同じドイツとスペインのハーフなんです。撮影が進むにつれ、まるで兄弟のように仲良くなっていきました。彼とはまた監督として仕事をしたいですね。役者として共演するのもいいけど、監督という立場ならダニエルを自由にコントロールできますから(笑)。
ミン:
とても嬉しそうにお話されますね(笑)。ダニエルさんとの絆も含めて、やはり、この作品を撮るのはペレーズ監督の宿命だったんですね!
ヴァンサン・ペレーズ監督:
はい!その通りだと思います。この作品を観た方が、一人の小さな声を無意味と思わずに、勇気をもって行動してくれることを願います。
2017年4月26日取材&TEXT by min
2017年7月8日よりヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか全国順次公開
監督・脚本:ヴァンサン・ペレーズ
出演:エマ・トンプソン/ブレンダン・グリーソン/ダニエル・ブリュール/ミカエル・パーシュブラント/モニーク・ショメット
配給:アルバトロス・フィルム
1940年6月。ベルリンに暮らす労働者階級のオットーとアンナのもとに、ひとり息子ハンスの戦死を知らせる手紙が届く。深い悲しみに沈む二人だが、ある日、オットーは「総統は私の息子を殺した。あなたの息子も殺されるだろう」と怒りを込めたメッセージをポストカードに記し、街なかにそっと置く。ヒトラーとナチス政権に対するささやかな反抗行為を繰り返すことで魂が解放されるのを感じる二人。しかし、ゲシュタポの捜査は次第に夫婦に迫っていき…。
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