映画のお仕事は、監督・女優以外にも数え切れないほどの種類があります。プロデューサー、照明、音響、衣装、メイク、宣伝、劇場営業…。映画を作る現場から、映画をユーザーに届けるところまで、さまざまな現場で働く女性にお会いする機会があれば、お話を聞いて、現場の状況などを掲載できればと思います。
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香港で大ヒットを記録した『29歳問題』。自ら脚本、主演を務め一人芝居として舞台で上演した『29+1』を、今度は自らメガホンを執って映画化したキーレン・パン監督にインタビューさせて頂きました。監督ご自身がパリで留学した経験もあり、香港とパリが舞台になっていますが、本作にどんな思いを込められたのか、お聞きしました。
<PROFILE>
1975年2月11日、香港生まれ。香港で最も有名な舞台女優で舞台演出家で、クロスメディア・クリエーター、作家、脚本家としても活躍している。名門芸術大学である香港演芸学院・表演学科を卒業し、1998年に香港で最も古い歴史を持つ商業劇団“中英劇団”の専属俳優となり、舞台演出、作曲、振付、プロデューサーなどを務めた。2003年に退団し、2004年、香港戯劇協会の奨学金でパリに留学、演劇学校“スタジオ・マジュニア”で学んだ。2005年、舞台芸術と文化の普及のため、香港に“キーレン・パンプロダクションズ”を設立。2005年に発表した、初めての一人芝居『29+1』(制作、脚本、主演)は高評価を得て、2013年までに6回再演。さらに映画の大ヒットにより、2018年3月から4月にかけても再演された。2008年には一人芝居『再見不再見』で香港戯劇協会舞台劇奨最優秀主演女優賞を受賞。2006年、パン・ホーチョン脚本・監督の映画『イザベラ』(ベルリン国際映画祭銀熊賞受賞)の脚本を共同執筆し、映画界に進出。同作のノベライズ本も執筆した。2017年、『29+1』(邦題『29歳問題』)で映画監督デビューし、ニース国際映画祭2017で外国語映画最優秀監督賞を受賞。また、2011年には公共放送の香港電台と香港戯劇協会により「この20年間最もインプレッシブな女優」に選出され、2014年には国際青年商会香港総会が優れた若者を表彰する“香港十大傑出青年”にも選ばれている。
マイソン:
原作となる舞台演劇は、監督が30歳の時に作られた作品だということですが、この題材で芝居をやろうと思ったきっかけや出来事とかは当時あったでしょうか?
キーレン・パン監督:
演芸学院で勉強しまして、脚本を書く授業があったんです。先生から「いつかあなたが脚本を書くのであれば、とにかく最初の脚本は自分にとって何か感じられたもの、感じやすいものを書いたほうが良いですよ」というアドバイスがありました。自分自身は30歳になることに全然恐れはなかったんですが、当時、周りの友達が皆30直前で大騒ぎしてたんですよね。
マイソン:
日本も同じです(笑)。
キーレン・パン監督:
もう、大きな出来事みたいな(笑)。
マイソン:
そうですよね(笑)。監督ご自身もパリで演劇を学ばれて、本作の舞台も香港とパリになってるんですが、2人の異なるキャラクターを描いた意図は何でしょうか?
キーレン・パン監督:
私がこの脚本を書いたのは、パリに留学して香港に帰ってからだったので、脚本を書くときに自然とパリの何かを取り入れるわけです。子どもの時は、パリってすごく遠い国で、ニューヨークも遠いんですけど、そういう街と比較してもパリは何となくロマンチックで、すごく良いなあというイメージがありました。そこで人物を書いたときには、設定として小さい時からパリに憧れて、パリに行きたいという設定でした。
マイソン:
実際に行ってみて、パリを好きになりましたか?
キーレン・パン監督:
ハハハハ。プライベートなことなんですけれども、私の前のボーイフレンドがパリで3年間留学したことがあるんです。私が留学する時には既に別れていたんですけどね。ところが、留学して1週間経った時に、「うわあ、この街で暮らすのは大変だ」と思い、別れたボーイフレンドに対して、ふと尊敬の念を抱きました(笑)。まず何でも高い!例えば、クレンジングフォームはパリでは高くて高くて、「これじゃ買えないわね」と思い、朝はクレンジングフォームを使わずに水で洗ってました(笑)。
マイソン:
え〜!(笑)それぐらい高いっていうことですよね。
キーレン・パン監督:
当時若かったし、お金もあまり無いので、何でも高く感じました。田舎者が大都会にやって来たような感じだったので、怖いし、物価も高くて。ある日電車で出会った香港人に、電話で「何でフランスってこんなに物価が高いの?」って言ったら、彼が淡々と「僕は撮影の勉強で、あなたは演技の勉強でパリに来ていて、アーティストの我々は金持ちにはならないけれども、貧乏でも死にはしない。物価が高いのは当たり前だから、そんなことにはいちいちこだわるな」と言われました。その話を聞いて、何だかすごくホッとして、何とかやっていけました(笑)。
マイソン:
なるほど(笑)。今回映画化するに際して、気をつけた事とか、舞台と違って映画だからこそできた事はありますか?
キーレン・パン監督:
非常に素晴らしいカメラマンに出会ったので、ある意味でカメラのフレームワークも彼に任せられました。ただ時々、私が監督として、こういう映像が欲しい、こういう画面が欲しいという時に、長年映画をやってきた方からは、「あなたの欲しい映像、画面はあまり映画らしくないんですよね」と言われることがありました。そこにとにかく時間をかけて皆さんとコミュニケーションを取って、何とか実現させるために、細心の注意を払いました。
マイソン:
この作品には普遍的なテーマが描かれていて、いつの時代に観てもたぶん違和感がないんだろうと思いました。舞台で初演をした時と現在で、本国で同じ29歳の女子の状況に変化はありますか?
キーレン・パン監督:
すべての29歳の女性に言えるわけではないんですが、前より状況は良くなっている気がします。例えば、何歳になったら結婚しなければならないかとか、皆それほど気にしなくなったというか。でも、30歳はデッドラインですよと考える女性もまだいますけどね。この映画が言いたいのは、「我々は必ず人生においていろんな迷い、不安と遭う。そういった出来事にどう直面して、どう乗り越えていくのか」なんですよね。だから決して30歳うんぬんという話ではないんです。また、舞台になっている2005年の香港は、高い年齢層にとってもすごく思い入れのある時代です。そういう意味でも、20代30代のためだけの映画ではないということが言えます。
マイソン:
なるほど。少しお話は変わりますが、1997年に香港がイギリスから中国に返還されましたが、映画作りにおいて、何か変化はありましたか?
キーレン・パン監督:
返還から既に20年経ち、香港の映画界にもアップダウンがあるわけです。一番大きな変化は、中国の映画市場がどんどん開かれてきたこと。良いところもあって、例えば資金が非常に潤沢なので、クリエイター、特に監督は、いろんなことを実現できるようになりました。一方、やはり大陸の市場に合わせるために、いろんな調整もしなければならない。そういう良し悪しはありますね。
マイソン:
では最後の質問です。先ほど、岐路に立たされた人達に向けた作品だというお話がありましたが、岐路に立たされた女性達にアドバイスがあればお願いします。
キーレン・パン監督:
やはり大事なのは信念を抱くこと。特に不安を感じたり困難に直面したりする時には、信じることがとても大切です。すべての物事は良いことも悪いことも全部、過去になってしまいます。だから我々の人生はまさに走っている列車のようなもので、ずっと前に向かって走っているんです。なので、走っている列車と共に、ずっと前に前にムーブ・オンする。そうすると、流れてくる映像、風景を見ることもできますし、自分の将来は幸せでありますようにと考えること、信念を抱くことで、困難な状況に直面することができるようになると思います。
2018年5月19日より全国順次公開
監督:キーレン・パン
出演:クリッシー・チャウ/ジョイス・チェン/ベビージョン・チョイ/ベン・ヨン/ジャン・ラム/エレイン・ジン/エリック・コット
配給:ザジフィルムズ、ポリゴンマジック
2005年の香港。30歳を目前にして、仕事では昇進し、長年付き合っている恋人もいるクリスティは、充実した日々を送っているように見えて、実際はそうとは言えない状況。そんなある日、住み慣れたアパートから退去を言い渡されたクリスティは、住人がパリ旅行に行っている間だけの仮住まいに移り住み…。