どんなに孤独を感じても、人はどこかで誰かと繋がっています。それなのに孤独に押しつぶされそうになるときがあるのはどうしてか?それは、その「繋がり」の本質に問題があるのかも知れません。
また、自分は何をやってもうまくいかないと絶望するときがあるかも知れません。でも、いつかどこか何かに繋がっていると信じることが大切なのかも知れません。今回はこの世界、社会の“繋がり”について考えてみます。
ディス/コネクト
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<本作で描かれる“繋がり”> |
インターネットの普及に伴い、世界中の誰とでも繋がることができる社会になり、さらに多種多様なSNSも広まったことで、見知らぬ人ともコミュニケーションが取りやすい環境になりました。同時に“自分の都合で繋がることができる”ネットの上の人間関係の方が楽だと、現実の人間関係をおざなりにする傾向が強くなってしまう人も少なくないでしょう。でも、ネット上の関係はネット上から脱して直接生身で会うことがない限りそれ以上の関係にはなりません。ネット上ではいくらでも優しい言葉をかけることはできますが、人生に深く関わることになると、事情が変わってきます。 本作は、現実の人間関係とネット上のある種架空の人間関係との違いを、それぞれのキャラクターに起こる事件を通して描いています。ここで描かれる問題の根底にあるのは、身近にある生身の人間同士の関係から皆が逃げていること、もしくはその大切さに気付いていないこと。結局、ネット上でたくさんの友達と繋がっても、現実の人間関係と向き合わない限り、得体の知れない孤独感からは抜け出せません。ネットの人間関係も距離感をうまく保てば良いものですが、まずは現実社会にある人間関係から逃げずに、失敗しながらでも本当に心が繋がれる仲間を1人でも良いから見つける努力をしたいものです。 |
ニューヨーク 冬物語
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<本作で描かれる“繋がり”> |
主人公のピーターは100年の時を超えて生きながらえているという不思議な設定の本作。この物語はただのラブファンタジーではなく、彼はなぜ100年も時を経てまだ生きているのか、彼の存在意義を問うテーマとなっている点が見どころ。普段から「私はこの時のために生きていたんだ」「私はこの人と出会うために生きていたんだ」という自覚を持って毎日を過ごしている人はそうそういないかも知れませんが、主人公のように100年もの時を経ても“生かされて”いれば、自分の存在意義を考えずにはいられないはず。でも、そんなに長年生かされなくても、人は自分の存在意義を何かしら意味づけることはできるはず。 本作での真相は映画を観てもらうとして、自分の命や愛がこの世で何らかのミラクルを起こす力を持っていること、それは時空を超えてでも必ず何か、どこか、誰かに繋がっていると思わせてくれる本作のストーリーは、自分や周囲は気付いていなくても、必ず自分がこの世に存在する価値はあるはずだという希望を与えてくれます。 |
この世の中にはいろいろな繋がりがあり、それぞれに何らかのメリット、デメリットがあるでしょう。でも、誰とも何とも繋がらずに生きることはできません。繋がりを拒んで生きられないなら、自分から積極的に良い繋がりを作る方が良いですよね。面倒なこともあるかも知れませんが、その面倒はより強固で質の高い繋がりを作るためにあるはずです。
2014.5.12 TEXT by Myson