世の人々全員の幸せは、共通ではありません。人にどう見えようと本人が幸せならば幸せ、人には幸せそうに見えても本人が不幸に感じていたら不幸なのだと思います。そこで今回は、「他人のものさし」をテーマに考えてみます。
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<再起の方法は自分次第> |
才能を開花させ、著名な賞をもらい、周囲からは天才ともてはやされたキース。でも、その期待に反して、その後15年間はヒット作に恵まれず、いつの間にか惨めな脚本家に転じてしまいます。生活をするために、やむなく引き受けた大学での講師の仕事ですが、最初は適当に済ませようと真剣に取り組みません。まだ彼のなかにはハリウッドでの再起を夢見ている部分があって、彼にとってはそれが成功であり、幸福という考えに固執しているのです。でも、脚本家を目指す生徒達と交流するなかで、彼は自分が何をもって幸福感を得られるのかに徐々に気付いていきます。あることがきっかけで初心に戻った彼は、今自分がすべきこと、今の自分が幸福になるためにできることを自覚します。 一般人でも世間のものさしで自分の幸福を計る人のほうが多いですが、脚本家のように他者から評価される職業の人はなおさらそうなってもおかしくありません。でも、華やかな世界でちやほやされることが本当に幸福なのかは人によって異なるでしょう。さらにキースの場合は、過去の自分と今の自分で、幸福感も少し変化したようです。“今”の自分のものさしで、自分の幸福を計れば、もっと幸せに近づけそうです。 |
ハッピーエンドの選び方
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<どう死ぬかは、倫理的視点だけで決められない> |
他人事だと、安楽死に賛成、反対と言えても、自分のことや自分が愛する人のことになると、そう単純ではありません。本人の意志だけで安楽死を望んでいたとしても、離れたくない家族や友人たちは反対することも多いでしょう。ヨヘスケルも同じような局面に向き合わなければいけないくなるのですが、これは倫理的な視点からだけでは、正しい、間違っていると判断できない問題です。 でも、本作を観ていて思うのは、最終的な判断はやはり本人の意志で、「どうこの人生を終わらせたいか、どんな自分で終わりたいか」ということによるのではないかと思います。自分で自分の人生を終わらせられるとしたら、自分はどういう決断をするのか…、そんなことを考えさせられますが、自分の人生の終わりを自分で決められることは、とても尊いことであることも実感します。 |
今回ご紹介した作品は、“セカンド・チャンス”“人生の終わり”についてをテーマにしたものですが、こういった状況に関わらず、年齢や性別、国籍などにも関わらず、自分のものさしを持って生きるほうが、より幸せな人生を送れるのではないかと思います。他人のものさしで生きている限り、ゴールは見えないし、自分の人生を人に評価される状況自体が不幸ですよね。他人のものさしなんて関係なく、自分が不幸か幸福かを認めれば、どんな行動をすべきかもわかります。
2015.11.9 TEXT by Myson