何か偉業を成し遂げて皆に評価され有名になることは、成功、幸福だと思われています。でも、本当にそうなのでしょうか?今回は、名声と、義務と、幸福の関係について考えてみました。
ツイートシーモアさんと、大人のための人生入門
|
<名声を得た人の義務> |
本作でシーモア・バーンスタインは印象に残る言葉をたくさん語っていますが、教え子との対話のなかに、社会貢献という話題があがったので、フォーカスしたいと思います。具体的な内容についてはぜひ映画で観て頂ければと思いますが、ここで語られる“社会貢献”がどういう意味合いであるにせよ、名声を得ると同時に、社会的義務もくっついてくるのだなと、改めて考えさせられました。名声を得た人は社会に影響力を与える立場になるので、今までよりもさらに社会貢献ができるというのはメリットだと思います。社会貢献することで幸福感を得られるというのもよく聞く話です。ただ、本人がどういう方法で社会貢献しようとしているかと、社会がその人物にどういう社会貢献を望んでいるかは必ずしも一致するわけではありません。ここで社会貢献するのが嫌だという人の話をしているわけではなく、何をするにも、世間が求める方法、事柄に応える義務が課せられるのは、とても大変だということを言いたいのです。名声を得ることで義務を負い、それなりの自由も奪われることを思うと、「名声=幸せ」とは簡単にならないのではないでしょうか。 |
アイ・ソー・ザ・ライト
|
<“普通”でいられないスターの苦悩> |
スターになるまでは良いけれど、一旦登り詰めたら後は落ちていくだけだと考えると、スターになればなるほど、その恐怖心は計り知れないですね。また、仕事に追われ、普通の生活ができなくなり、自由を奪われ、常に誰かに管理されている日々は、ノイローゼになってもおかしくないと思います。本作の主人公ハンク・ウィリアムスは家族をないがしろにしているようにも見えますが、はけ口を家族にできないからこそ、外で発散しているのかも知れないと思うと、一概に責める気にはなれません。スターにしかわからない孤独感、いつも好奇の目にさらされる生活、自分の一存で決められない事が多すぎる事実を避けられないことを考えると、よっぽど鈍感な人物になるか、幸せの定義を変えて自分を納得させないと、やり過ごせないのではないでしょうか。スターと結婚できるならいろんな人が寄ってきそうですが、実際は全てを受け入れて一緒に幸せになってくれる人を見つけるのは、本当に至難の業だと思います。 |
SNSが普及した現代は、他者からの承認欲求を強く持つ人が多くなったと感じることがあります。誰でも手軽に有名人になれる現代では、有名になりたい理由もいろいろあって、一発屋で終わってもそれほど痛くない人もいると思いますが、名声を得ることと、幸せになることがイコールだと考えるのは、少々危険だなと思います。そうなってみないとわからないし、名声を求めることが悪いとは言いませんが、とにかく自分にとっての幸せが何かは常に考えておかないと、いつの間にか他者に流されて生きる人生になる気がします。
2016.9.12 TEXT by Myson