自分1人で世界を変えられるわけがないと多くの人が思うはず。でも、どこで何がどうなるかは読めません。今回は、世界が変わる物語を題材に、その一歩の大きさを考えてみました。
ツイートドリーム
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<自分ができるところから> |
いかに優秀な頭脳を持っていても、肌の色と女性差別で、才能を発揮する場を与えられなかった、当時の女性達。でも、苦境に負けずに日々与えられた仕事をコツコツすることから始めたキャサリンは、やがてずば抜けた計算能力を買われることになります。彼女の友人メアリーや、ドロシーも、仕事の頭脳だけでなく、生き抜く知恵を使って、自分の人生を切り拓いていきます。彼女達は世界を変えようだなんて大袈裟に思っていたわけではなく、ただ自分自身の人生を変える努力をしただけかも知れませんが、その後の社会に大きく変化をもたらす要因の1つになったに違いありません。不遇な社会に抗議するだけで、自らは何もしない人達が多いなか、まずは自分ができる事から努力する人達をとても尊敬します。1人の力は小さくても、こういう"1人"が結局、世界を変えるのだなと思います。 |
猿の惑星:聖戦記(グレート・ウォー)
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<一括りにする愚かさ> |
人間の都合でこの世に生まれた、知能の高い猿達。でも、結局人間の都合で、次は排除されようとしています。無責任な人間の愚行によって、猿達との関係は中途半端に投げ捨てられ、猿達は害悪となってしまいます。共存の道もあったはずなのに、一括りに敵とみなしてしまう愚かな判断。どこまで行っても、人間は欲深く身勝手で、愚かである事を描く名作です。科学がどんなに進歩しても、踏み越えてはいけないラインがあるはず。これはSFファンタジーではありますが、私達の身近なところでも、世界を変えてしまう一歩は、いとも簡単に踏み出されているかも知れません。こうした意味でも、1人もしくは少数が踏み出す一歩が世界を変えうる責任を認識するべきなのでしょう。 |
すべてを世の中のせいにするだけで、自分で何もしない人は嫌いだし、自分に近い小さな世界からでも変えようとする人はステキです。でも一方で、世の中に与える影響を考えないまま、行動を起こすのには賛成できません。いずれにしても、1人の力は思っているよりもずっと大きいという事を自覚して欲しい人が、この世の中にはいると思います。
2017.10.10 TEXT by Myson