フィリピンのストリートで生きる孤児のブランカが思いついたのは“お母さんをお金で買うこと”。愛を知らない少女が、盲目のギター弾きピーターと出会い、他者と寄り添い合う温かさと、自身の力で生きる喜びを知り成長していく姿を、フィリピンの色鮮やかな街並みと人々のエネルギーの中に描いた長谷井宏紀監督にインタビューしました。写真家、映像作家として世界中を旅してきた長谷井監督が、ビエンナーレ・カレッジ・シネマ*&ヴェネツィア国際映画祭の出資を日本人として初めて獲得するまでの経緯や、各国の映画祭で多くの主要な賞に輝いた本作への想いなどを伺いました。
*ビエンナーレ・カレッジ・シネマ…ヴェネツィア国際映画祭を擁するヴェネツィア・ビエンナーレが、世界中から新人映画監督を発掘し育成することを目的に開催するワークショップ。
PROFILE
岡山県出身。映画監督、写真家。セルゲイ・ボドロフ監督『モンゴル』(ドイツ、カザフスタン、ロシア、モンゴル合作/米アカデミー賞外国語映画賞ノミネート作品)では映画スチール写真を担当し、2009年、フィリピンのストリート・チルドレンとの出会いから生まれた短編映画『GODOG』では、エミール・クストリッツァ監督が主催するセルビアKustendorf International Film and Music Festival にてグランプリ(金の卵賞)を受賞。その後、活動の拠点をセルビア(旧ユーゴスラビア)に移し、ヨーロッパとフィリピンを中心に活動。フランス映画『Alice su pays s‘e’merveille』ではエミール・クストリッツア監督と共演。2012年、短編映画『LUHA SA DESYERTO(砂漠の涙)』(伊、独合作)をオールフィリピンロケにて完成させた。2015年、『ブランカとギター弾き』で長編監督デビューを果たす。現在は、東京を拠点に活動中。
ミン:
本作を制作するきっかけにもなった、フィリピンのストリート・チルドレンとの出会いを教えてください。
長谷井宏紀監督:
僕が28歳から33歳くらいまでかな。毎年クリスマスの時期に、フィリピンのスモーキーマウンテンというゴミの山に通って、プレゼントを渡したり、ゴミをかき集めて5メートル位のクリスマスツリーを子ども達と一緒に作っていたんです。そこにいた子ども達と「いつか映画を撮ろう」と話していて、その約束がずっと心に残っていた。この映画にも、その時に子どもだった人が数人出ているんですよ。その後、セルビアに拠点を移してからも、フィリピンには何度となく足を運んでいました。
ミン:
セルビアではどういった活動をされていたのですか?
長谷井宏紀監督:
31歳の時、韓国でエミール・クストリッツァに出会って、彼のバンドのヨーロッパツアーにカメラマンとして1ヶ月ほど同行させてもらったんです。ツアーの終盤で、彼にフィリピンのゴミの山で子ども達と最初に撮った短編を観せたら、とても気に入ってくれて。彼が主催するセルビアの映画祭で上映することになり、そこでグランプリをいただいたんです。その映画祭で審査員長をしていたのが、エミールの監督作品である『アンダーグラウンド』や『黒猫・白猫』のプロデューサーを務めたカール・バウハウトナー…僕達はバウミーと呼んでいるけど、エミールの薦めもあって、彼と映画を制作することになりました。それで、セルビアのエミールの住む村で生活しながら、脚本の執筆や、短編の撮影などをしていました。
ミン:
トントン拍子に進んでいった感じですね。
長谷井宏紀監督:
いや…実は、プロジェクトの途中でバウミーが他界してしまって。それで企画が止まって、失意のまま一度は日本に帰国したんです。でも、1年半くらい経ってから、プロジェクトに参加していたイタリアのプロデューサー、フラミニオ・ザドラから連絡があって、「僕達は映画を作ってバウミーに何かを返さなければならないんじゃないか?」って。そこで、ヴェネツィア国際映画祭の企画(ビエンナーレ・カレッジ・シネマ)に応募することを提案されたんです。
ミン:
そんな経緯があったんですか…。
長谷井宏紀監督:
ええ。それで、1枚の企画書と15分の短編を送って、約600ものプロジェクトのうちの16個に選ばれ、残ったグループでさらにワークショップを繰り返して。最終的にポーランド、アメリカ、そして僕らイタリアチームの3つのプロジェクトが選ばれて、本作の制作に漕ぎ着けることができたんです。
ミン:
本作の脚本は、ピーターさんが出演されることを前提に執筆されたそうですが、彼のどういったところに強い魅力を感じたのでしょうか。
長谷井宏紀監督:
短編『LUHA SA DISYERTO(砂漠の涙)』(2012)の撮影でマニラを訪れたときに路上で演奏している彼に出会って、映画にも出演してもらったんですが、存在そのものに魅了されたというか…もう、言葉にはできないですね。人に出会って強烈に惹き付けられるときに、いちいち理由を考えたりしないと思うんです。とにかく、彼と再び映画を作りたいというのが自分の夢にもなっていました。ようやく実現できたわけですが、彼は連絡先をもっていないから、まず探すところから始めないといけなかった。
ミン:
どうやって探し出したのですか。
長谷井宏紀監督:
スタッフと手分けをして、ピーターが行きそうなところ、演奏していそうな路地、あらゆる可能性のある場所を、とにかく歩き回りました。マニラから車で1時間ほど離れた村に盲目の人のコミュニティがあると聞けば、そこまで車を飛ばして。そうして一ヶ月半くらい経ったときに、スタッフから「見つかった!」って連絡があって。結局、彼はマニラから車で3時間半も離れた村に住んでいたんだけど、僕が探していると知ると、わざわざ会いに来てくれたんです。
ミン:
そんな遠方に住んでいたのに再会できるなんて、長谷井監督の情熱の賜物ですね!ブランカ役のサイデルさんは、どのようにキャスティングされたのでしょうか。
長谷井宏紀監督:
サイデルを知ったのは、イタリアのプロデューサーが教えてくれたYouTubeの動画だったんだけど、歌っている姿を観てこの子しかいないと思った。でも、プロダクションから、彼女はマニラから遠く離れた島に住んでいて、学校もあるしいろいろな意味で難しいと言われたんです。それで一度はあきらめざるを得なかったのですが、再度アタックしたときに、たまたま彼女が父親と一緒に僕のオフィスのすぐそばに来ていて。それですぐに会って話をすると、彼女もやりたいと言ってくれたんです。
ミン:
それもまた、奇跡的なタイミングですよね。ブランカとピーター以外のキャストのほとんどは路上でスカウトされたとか。
長谷井宏紀監督:
サブキャストはプロの役者を何人か起用したけど、メインキャストは2ヵ月半かけて、朝から晩までスラムを歩いて探しました。実際にそこで生活をしている人達を起用することで作品にリアリティが生まれると思ったんです。
続きを読む>>>>> 1 2:不思議な縁や絆も心の扉を開いてこそ
2017年7月29日より全国順次公開
監督・脚本:長谷井宏紀
出演:サイデル・ガブテロ/ピーター・ミラリ/ジョマル・ビスヨ/レイモンド・カマチョ
配給:トランスフォーマー
ストリートで暮らす孤児の少女ブランカは、有名女優が自分と同じ境遇の子どもを養子にしたというニュースをテレビで観て“お母さんをお金で買う”ことを思い付く。その頃、住む場所を追われたブランカは、盲目の路上ギター弾きピーターと出会う。一緒に旅に出て辿り着いた街で、「3万ペソで母親を買います」と書かれたビラを張り、その資金のために盗みを働くブランカに、ピーターは歌でお金を稼ぐ方法を教える。ピーターが弾くギターに合わせて歌い出したブランカの歌声は人々を惹きつけ、ライブ・レストランのオーナーからステージで演奏する仕事を頼まれる。屋根のついた部屋と仕事を得たブランカは喜ぶが、一方で思いもよらぬ危険が迫っていた…。
公式サイト 映画批評&デート向き映画判定
©2015-ALL Rights Reserved Dorje Film